子供は自分の分身(神秘体験が教えてくれるもの)

子供は自分の分身だ。
自分自身と言っても良い。
自分は真理探求をするうちに、面白いことに気付いた。
そしてそれまではまるで信じられなかったようなことが、すんなりと受け入れられるようになった。

神秘体験と呼ばれるものもそうだ。
以前、真悟がトイレの前で立っているのを屈んで見ていた際、真悟の顔を見ていたら、明確に感じたことがある。

あぁ、やはり真悟は自分なんだ、、他人なんて言うものはいないんだ、、

境はない。目に見える体などはまるで関係ない。
そういう目に見えるものではないんだ。
ただ一体であるということがわかるんだ。
言葉で説明するのは難しいが、目の前に立っているのは自分自身だということがわかるという感じかな、、ちょっと違うかな(^_^;)

そんな感覚をその時に得たのは、自分に『全ては繋がっている』という事を再認識させてくれるためだったと思う。

そう、実感はしつつもいつしか薄くなり、忘れがちになったりするから(^_^;)

自分は自分が幸せでいたいから、一体である子供達を幸せにしてあげたい。

そしてそれは確実に反映されているのがわかる。

デスクワークが多くなり、「肩が凝ったな~」と言うと、肩もみ券を作ってくれた。
ダンボールを捨てに行こうとすると、「手伝う~」
三角フラッグ作ると言うと、「私もやる~」

手伝いに自主的に手を挙げてくれる、、、
大人になると、なぜか対価を求めたり、代償を求める人が増える。
その違いは明確だ。そして単純。
共に行動することの素晴らしさ、ありがたさ、幸せが見えているかどうかだ。

そして、対価や代償などは求めなくとも、自然にもたらされる。
子供達は、「手伝う!」とも言うが、「遊んで!」とも言ってくれるのだ。

自分が忙しかったらどう思うかな?
手伝ってもらうだけ手伝ってもらい、遊ぶのは「今、忙しいから、、、」これだとどうかな?

対等な関係というのは築けないだろう。

年齢など関係ない。
肩書も年収なんかも関係ない、、、
皆が『繋がり』を感じることが出来た時、すべては理解されるだろう。