2014年に別ブログで書いた記事を再掲します。

うちの子供、支温(小学校1年)と私とNちゃん(幼稚園年中)でUNOというカードゲームを行っていた時の事。
技術はそれほど関係なく、ほとんど運任せな展開ではあったものの、なぜか私と支温だけが連続で上がってしまった。
「そろそろババ抜きにでもしようか?」と提案しても、
NちゃんもUNOでどうしても勝ちたい様子で、何回も「もう一回やる!」と言ってくれる。
Nちゃん、あがれるといいなぁと思いながらプレーするも、何故かNちゃんは上がるのが難しいようなカードばかり来る、、。
Nちゃんは、「N、ピンチ~」と言いながら、すこし涙ぐんでいる、、、、
私が配る枚数をNちゃんだけ少なくする(上がりやすくなる)ことを提案すると、それは皆に受け入れられた。
「今回はNちゃん、あがれるといいね!」 支温もこう言ってくれている。
しかしながら、なぜかNちゃんにはかなり厳しい展開になるカードが来る。
自分が仕方なしに出したカードはNちゃんを苦しめるカードだったのだが、Nちゃんは気づかずに本来なら出せないはずのカードを出し、手を進めた。
”お、気づいていない!それなら続行しちゃおう。”と思い、支温の顔を見ると、支温もNちゃんは本来そのカードを出せないことに気づきながらも、頷いて続行させてくれた。
ルールは無視されたことになる。同意の下でね^^
”おぉ、やさしいじゃないか、支温!素晴らしい!”
その後、支温は順調にカードが進み、後一歩で上がりというunoを宣言した。
支温があがってしまうと、またNちゃんはあがることができない、、、
そして、Nちゃんには気の毒なことに支温に上がりのカードが来た、、、
しかし、支温はNちゃんにばれないように上がりを見送ったのだ!
支温のファインプレーにより、Nちゃんはめでたく始めて上がることができた^^
Nちゃんは物凄い喜んでいる。
そして支温までNちゃんが上がれたのを見て、自分のように喜んでいたのだ!
自分は、この光景を見て心から嬉しかった。
支温にはいつも伝えている。
「人が喜ぶことをしよう。嫌がることはしないほうがいいよ。意地悪してくる子とやさしくしてくれる子、自分が優しくしてあげたいのは優しくしてくれる子だろう?」
自分の中では、身なりとか運動ができるとか、勉強ができるとかなどはどうでも良くて、愛情溢れる子であればそれだけでいいと思っている。
支温はそれを目の前で見せてくれたのだ!
そして、嫌々上がりを譲ったのではなく、Nちゃんが上がるのを共に喜んだのだ!
競争論理だと、上がった人しか幸せにはなれない、、、
でも、共生の考えだと、上がった人、上がりを譲った人、そしてそれを目撃した人、すべてが幸せに包まれたのだ。
このような事が、すべての人にとって常に当たり前に起こる出来事であるとしたなら、目の前の社会はかなり素晴らしいものとなるだろうな^^
しかし、それを当たり前のようにやろうとしても”難しい”と感じることはかなり多いと思う。
支温は運動会のかけっこで、途中まで一番だった。
そして、後ろを気にしながら何度も振り返っていた。
結果、後から来た人に抜かれ、二番となった。
「自分が一番でいいのかな、、、」
そんな思いがよぎっていたのだと思う。
個人プレーの場合にはそれでいいと思うが、それがリレーなどの団体競技であったとすると、本気で勝ちを狙わない姿勢は仲間から理解されにくいと思う。
そういう葛藤は今後の人生で幾度となく味わうことになると思うが、そういうときでも本来の目的だけは忘れずに、共に走る仲間、自分、そして他チームの皆、全員で幸せになろう!という気持ちだけは持ち続けてくれると嬉しい。
そのような価値観を自信を持って維持させるためには、なによりも身近な親がそれを行動で示すことが一番だと思う。
自分がそうできているかどうかは?だが、気持ちだけはそこを目指しています^^
『勝たなくていいんだよ』
「頑張れ!負けるな!」
期待に応えようと、皆、頑張る
勝つのがゲームの目的だって?
説明書そう書いてあるって?
勝った事で誰かが喜び、それが誰かを苦しめるとしたら
勝利を心から喜べるかな?
皆で楽しもうと始めたゲームなのに、、、
いつの間にか勝つことが最大の目的になっている
それに気づき、ゲーム本来の目的を思い出したとき
勝ち負けはどうでも良くなる
転んだ人には手を差し伸べ
疲れた人は背負ってあげる
勝つことよりも大切なこと
それを思い出したのだから
