承認欲求があるうちは不十分 ~理解を超えた領域~

他人に認められたいと思う人はすごく多い。人に褒められたいと思う人もすごく多い。
人の役に立ちたいという考えであればいいだろう。だが上の二つの考え方だとそうならなかった時に苦しみを感じることが多いだろう。

人に褒められることをしたり、人にいいねと認められるようなことをするのは確かに充実感も感じるし素晴らしいことをやっている気にはなるだろう。

しかしながら人に認められなかったり褒められなかったとしても気を落とす必要はない。人があなたを認めてくれなかったり褒めてくれなかったとしてもそれはあなたが悪いのではなく、他の人がまだあなたを理解することができていないだけだからだ。

自分の場合は人に認めてもらいたいとか人に褒められたいとかは別に思わなかったし、今も思わない。もしそのように対応されたとしたら、逆に自分の働きが足りないと感じる。

自分の場合は人に認めてもらうより、人が理解することすら難しいことを成し遂げることにロマンを感じるのだ。

自分は小学生の時に三国志という漫画を読み、そこに出てくる天才軍師、諸葛孔明の活躍を見て心が踊った。

誰もが予想できないようなことをサラリとやってのける。
一人で何人も倒せる武将が強いというのは分かりやすいが、軍師の戦力に与える影響力はそんなレベルではなく、たった一人素晴らしい軍師がいるだけで戦況を激変させてしまう、、、

自分はこれを見て、「自分も軍師になりたい!誰もが予想さえできないようなことを考え、実行できる人になるんだ!」と強く思ったのだ。

自分が承認欲求を感じないのはこの時の経験が非常に大きい。

誰かに認めてもらわないと不安になる人は多いとは思うが、そういう人達に安心してもらいたい。

自分が心から思い、感じることをしてもらいたい。

理解されることを目的にして、本当は思ってもない行動をとるよりも、ずっとずっと素晴らしいではないか!