Contents
本当に自分らしく生きていますか?
明日死ぬとしても悔いはない。そんな感じで日々を生きれていますか?
漫然と日々を過ごしていたり、やりたくない仕事をするだけで年を重ねていると感じたりする人々にとって、ちょっとでも希望を与えることができたらいいなと思い、この記事を書いています。
伝えたいこと
- 競争より共生 競争は無駄が多い
- もっと自然を活かそう
- 自由な生き方は選択可能
競争より共生 競争は無駄が多い
自分は子供の頃から常に周りからは秀でていたいという気持ちがありました。この気持ちは自分を奮い立たせ、モチベーションを高く持ち続ける事には役立ちました。実際に自分の能力も向上しました。が、、、、いまいちな点もありました。
●自分が勝ちたいがゆえに、自分が得たコツなどは周りには秘密にする。
→これでは周りを成長させることはできなくなりますね。
●負けそうな勝負はすることを避けたくなる。
→これはくだらないプライドのせいで、これにより成長の機会を失いがちです。
個人レベルでもいまいちな点は多々ありましたが、営利企業など、社会においては競争主義はもっと非常に強くなり、それにより切磋琢磨する点では非常に良いのですが、物凄い無駄も生み出していると感じています。
自分が富士フイルムの研究者だった時に感じたのですが、この無駄は相当なものでした。
早朝から夜遅くまでの過労死しそうな仕事量でしたが、それは無駄が多かったからだと自分は思っています。
ライバル企業同士で足を引っ張り合うのです。それに足をすくわれないようにお互いにディフェンスに力を入れ、さらにやられるまえに相手を倒すためにオフェンスにも力を入れます。
商品の開発に費やす時間よりも、そちらに費やす時間がはるかに長いように自分には思えました。
自社の技術と他社の技術を組み合わせれば、今その瞬間に完成できる製品も、互いに自分だけのものにしようとするために技術は使わせず(特許)、結局その製品は世には出ることができません。
なんとか自社だけの技術だけで完成させようとするので時間がかかり、さらに面白いことに、新しい研究が進んだとしても、それを他社に邪魔(戦略特許)されたりするのです。さらにそれを回避して、、、、なんてことを世界中でやっているのを見て、自分はちょっと勿体ないなと思ったのです。
「皆が手を組めば、凄い楽になるのに」
もっと自然を活かそう
今の時代、皆が重要視するのはお金だと思います。お金さえあれば何でもできるとさえ思うかもしれません。
確かにすごい便利です。
でも、実はただの紙切れだったりもします。これは災害時や非常時にならないと気づきにくいとは思いますが。
本当に必要なのは衣食住を満足させるものだと思います。
それにはやはり自然がある土地を活用するのが一番ですね。食べ物は大地または海から調達されます。スーパーで調達できるように錯覚しがちですが、元々はやはり自然から供給されます。
だから、その自然をダイレクトに活用することができれば、食べ物を得たりすることができるのです。着るものを自給するのは結構難しいですが、今の時代であれば着るものを買うくらいのお金を手に入れるのは難しくないと思います。
また物凄いラッキーなことに、今、自然のフィールドが有り余る日本の田舎には空き家もたくさんあるのです。それも活用することができると衣食住を簡単に賄えるようになるのです!自分はこれまで空き家を7件も借りることができており、小屋やツリーハウスも何件か建てています。
[倒木や山の木、土を使って建てたcordwood house]
自由な生き方は選択可能
自然(+空き家)を活かした暮らしで素晴らしいのは出費が減ることですね。
出費が減ると収入が減っても生きていけるようになります。更に自分だけでなんとかするのではなく、周りと手を取り協力し合うことができると更にずっと楽になります。必要な食料や資材が手に入ったり、仕事を紹介してもらえたり、必要な時に手を貸してくれたり、、、
こうなると好きでもない仕事に行かなくてはいけない理由などはなくなってきます。
自分が本当にしたいことに力を注ぐことができるようになるのです。
自分は依然、海外移住をしようとして移住先を見つけるために世界を回っていました。その際に感じましたが、日本では『仕事第一』みたいな雰囲気が結構強いですが、それは世界的にみるとマイナーなんじゃないかなと思いました。『仕事は生きていくためにすることであり、自分の人生を生きることの方が優先』されるという風に考える方が世界的にはメジャーだと思います。
でも、自分は日本の強い責任感がある考え方を否定しているわけではありません。
日本は仕事は忙しいですが、サービスなどは凄いと思います。
海外に行くと仕事は緩いですが、サービスはかなり適当だったりします。
日本の要求スペックの高さ、細やかさなどは海外の人から見たら驚きでしょう。
ただ、自分は働く人自身が選べるようになることが重要だと思っています。
激しく働きたい人は激しく働いたらいいと思います。仕事が生きがいの人はバリバリ仕事したらいいと思っています。
しかし、やりがいを感じないのにただ時間だけかけて作業するというのは寂しいかなと思うので、そのような人々は違う生き方を選択できるということを知ってもらえたらなと思っているのです。
自然活用の田舎暮らしってどんな暮らし?
その選択肢の一つとして自分が提唱しているのが『自然活用の田舎暮らし』です。
実際に自分が実践している『自然活用の田舎暮らし』、どのようにしているのかを紹介します。
人と助け合う
自然活用と言いながら、実はかなり重要なのが周りの人々と協力することだったりします。自給自足などを目指し、自分ですべてやろうと頑張る人もいますが、多くの人が挫折し、また苦しみを感じているようです。
田舎暮らしはやることが凄く多岐にわたります。草刈り、倒木処理、作物育て、収穫、加工品作り、古民家改修、家づくりなどなど、、。
それなのに米も作って麦も作って、さらにハーブも作ってそれをお茶にして、野菜もたくさん苗から作りたい!とかやっていると、古民家はいつまでも住める状態にならなかったりします。
しかしながら、周りの人と協力関係を結べるようになるとものすごく楽になります。
実際、自分は空き家を活用して体験宿泊施設を運営していますが、それに必要な資材や工具を周りの人たちから提供してもらうことができなかった進めることができませんでした。また、人からの協力が得られなかったら七件もの空き家を貸してもらうこともできなかったでしょう。
作物を育てるのも同じで、全て自分で栽培する必要もないでしょう。
自分がお米を作り、余ったら他の人にあげると、その人は麦をくれるかもしれません。
もしくは家の改修を手伝ってくれるかもしれません。
自分はそんな感じで、自分が周りの人たちにできる範囲で手を貸していたら周りの人たちも自分に手を貸してくれたのです。
そしてここが重要で皆さんに知っておいてほしい事なのですが、Aさんに手を貸したらAさんだけが手を貸してくれるようになるだけではなく、Bさん、CさんDさんまで手を貸してくれるようになったりするのです。
なぜだかわかりますか?
これは普段から人と協力し合っている人であれば簡単にわかると思います。
逆に、普段から競争ばかりしている人には難しいかもしれません。
人に喜ばれることをすると、そのされた人は周りに「こんな良いことがあったよ」と話したりするため、他の人たちからも良く思われ、手を貸してもらえるようになるからです。
体験施設にはコタツやら机、暖房器具、布団、冷蔵庫などが必要ですが、それらの殆どが周りの人たちから頂いたものです。
小屋を建てるための資材や改修資材などもそんな感じで集まってきたのです。
これは本当に有難いことです!こういう連鎖が起こるからこそ、さらに皆の役に立てればなと思えるし、活動に意義を感じるのです。
「自分が得をしよう」という計算だけしていたら、残念ながら経験することはできないでしょう。
自然の恵みを享受する
田舎には耕作放棄された田畑や使われていない山林が沢山あります。それを活用しましょう。昔はそういう土地を奪い合っていたほど価値があったのです。今ではそんな貴重な土地が使い放題な感じなのです!
また、山間部などでは獣害が大きな問題となっていますが、逆に狩猟をできるようになればお肉もたくさん取れるかもしれません。また、地域の農家の方には物凄く有難がれるでしょう。
また、自ら栽培しなくても山菜やキノコ、タケノコ、栗やカキなどが自然に手に入ったりします。
薪ストーブなどを設置すれば、暖房もその辺に落ちている木や枝で賄えるのです。
井戸なんかがあれば水さえも自給できます。
「なんて凄い!!」
と思えそうですが、実は昔はこれが当たり前でしたね^^
ただ、昔は皆、こぞって自然を活用していたのに今は逆に放置されているので物凄く贅沢に使えるのです♪
空き家を活用または自分で家を建てる
都会の人たちがお金が必要だと思う大きな理由の一つが居住費だと思います。
もしこれがかなり安くなれば、大きな安心感を得られるのではないでしょうか?
自分は趣味も兼ねていくつかの小屋を建てています。建てるときはイベントとしてセルフビルドに興味がある方も参加できるようにしており、将来、田舎で自分で家や小屋を建てたい人の経験の場として提供しています。
「昔から建築をやっていたのですか?」
よく聞かれるのですが、まったくやっていません。
自分で調べたり実験したりしながら試行錯誤でやっています。
知識よりもやる気の方がはるかに重要だと自分は感じています。
古民家の改修も同じですね。
得意分野を生業に
食べ物と寝る場所が確保できれば、取り敢えずは一息つけるでしょう。
自分が本当にやりたいことが何か、心の整理をする時間が持てるかもしれません。
「自分がやれること」、「いままでの資格を活かせること」
そんなことは考えない方がいいでしょう。それだと都会で働いている時と同じループに入ると思います。
そんなことより、ズバリ、「何をやりたいのか?何をやることに意義を感じるのか?」ですね。
やれるかやれないかなんて言っていたら、いつまでもできないでしょう。
本当にやりたい事をやらずに、なんの人生なんでしょう?
面白いことに、やりたいことを突き詰めると、それが仕事になったりします。
自分はツリーハウスや秘密基地などを作って遊んでいたら、今ではその講師として仕事の依頼が来たりしています。
同じように味噌つくりやキムチづくり、田舎暮らしの楽しみ方、勉強の仕方、内観、瞑想などなど、多くの講師をしています。
すべて大学などの学校で習ったものではなく、自身の経験をもとにやっています。
流れ
さて、自分がなぜ、今のような生き方になったかの流れを説明させてください。
社会が嫌になってしょうがなく離れたとかではなく、自然な流れで自然を活用した田舎暮らしをするようになったことがわかってもらえるかもしれません。
実は子供の頃から自然の中で過ごすのは大好きでした。幼少期に自然に触れる機会が多かったのは大きかったと思います。
実際、高校時代に書いた進路希望も「大自然の中で牧場か何かをやる」でした。
ただ当時は、それを実現するにはお金が必要だと思っていました。
そこで、自分はとりあえず五年だけ社会人をやってみることにしたのです。社会経験を積みたかったのと、元手となるお金も必要だと思ったからです。
自分は毎朝海岸を走っていたのですが、そこに色々なゴミが落ちているのを見て「もっと綺麗ならいいのにな」と思いました。
高校時代、全然勉強をしていなかった自分はゴミを無くすには化学を研究するのが良いかと思い、その後の就職にも有利であろう偏差値の高い大学を目指して三年になって急に勉強を開始。
京都大学に進学しその後は大学院、そして当時、化学合成では日本一と聞いた富士フイルムに入社し、研究員となりました。
会社での研究生活は楽しく、土日も会社に行き文献を調べたりしていました。
当時は、「せっかく世界と戦えるのだから自分が世界一の研究者になろう!」と張り切っていたのです。
そしていくつもの国際特許を取得するほどの研究成果を世界に示すほど活躍することができたのです。
自分が開発した技術は商品化されることになり、世界中に販売されるようになりました。これはこれで楽しいのですが、その際に先述した企業同士の足の引っ張り合いなどを見て、自分もその一員になっているような気がするようになり、仕事に熱意を感じなくなったのです。
しかも気づいたらその時すでに入社後五年を経過していました。自分はすぐさま退社を決意しました。
「辞めるのは勇気がいたでしょう?」「勿体なくないですか?」
そんなことをよく聞かれましたが、逆にその質問にむしろ違和感を感じるくらいでしたね。
「やりたくもないことを続ける方がずっと嫌に決まっているだろう?」
とまぁ、こんな感じで。
因みに誤解がないように言っておくと、別に富士フイルムが嫌いで辞めたわけではありません。
逆に富士フイルムには凄い感謝しています。
自分の性格をものすごく理解してくれ、許容してくれたからです。あんなに懐の深い対応をしてもらえることは中々ないでしょう。
自分が辞めると言った時も本社の人事部長が静岡まで飛んできて「上司を飛ばしてもいい。配属先をどこにでもしてあげるから残ってくれ。」とまで言ってくれたのです。
ね、なかなか無いでしょう?こんな対応。
参照入社試験に落ちながら、面接官に思いをぶつけることで逆転合格!特別待遇にまでなった話
では、会社を辞めて田舎暮らしを始めたのかというと、実はこれまた全然違うのです。
足の引っ張り合い好きではなかったですが、会社を辞めた時点ではお金はパワーだと思っていました。
そのころアップルのipodとかが流行っていて、自分もそのような人々が喜ぶようなものやサービスを提供することで人々が喜んでお金を出してくれたらいいなと思ったのです。
そう、次なる道は起業家です。
株式上場をすることで数十億円は手に入れようと考えました。
誰にも邪魔されない広い土地と悠々自適な生活のための生活費だけであれば、そこまで必要ではなかったのですが、その時はさらに恵まれない人々に学校などを作ってあげたいなどとも思っていたのです。
長くなるので省きますが、会社を辞め、一時、高額取得者になりました。確かにお金があると無いの二択で言うとある方が良いのですが、ただお金があれば幸せかというと全然そんなことはありませんね。
やはりそんなことよりも、意義があると思えることをしているかどうかの方がずっと自分としては重要でしたね。
自分はそのまま利子所得で生きていくこともできたのですが、その選択は取りませんでした。
「自分は何のために生まれてきたのか?自分は何をするべきなのだろうか?」
こんなことを深く考えるようになったのです。その答えを得ることが自分にとっては物凄く重要で、なんとこの期間が9年もあったのです!!
働きも出ずにそんなことを続けることができたのは周りの人々の助けはもちろん、見えない力によるものが大きかったと思います。今振り返ってみても完璧なシナリオで進んでいましたが、それは自分が自分の気持ちをまっすぐ見つめることができたからなのです。
そんな自身の経験もあり、できるだけ多くの人たちに自分の気持ちに素直に生きてもらえたらいいなと思うのです。そして、それをしやすくする環境が『自然活用の田舎暮らし』なのです。
FAQ
よくある質問に答える形で書いてみます。
そんなので生きていけるのか?
これは多くの人たちが心配されるのですが、むしろ逆にお金を得るために就職しないと生きていけないと人が考えるようになったのって歴史的に言うとかなり浅いのではないでしょうか?
動物も昆虫もお金などなしに自然を活用して生きています。
都会からビヨンド自然塾の活動に加わり、その後に引っ越してくる人は多く、既に60組を超えていますが、その人たちは収入が減ったとしても自由が増える生き方に魅力を感じてくれたようです。実際、自分は今のところ、なんとかやれています^^
後悔はない?
まるっきりないですね。逆にやりたくないことを続けていて気付いたら数十年も経っていたとしたら、、、、そちらの方がずっと強く後悔したでしょうね。
大変なことは?
性格的なところも大きいと思いますが、自分としては大変だと思ったことはないですね。チェーンソーも草刈り機も持たずに斧と大鎌とツルハシでジャングルのような耕作放棄地を開拓したり、お金も工具もないのに何件も空き家を改修したりしましたが、大変だと思ったことはないですね。むしろ自分がやらないと他の人たちはやらないだろうと思ったので意義を感じましたね。楽しいと思ったり、意義があると思うことをやる時は大変だとは思わなかったりするんですよね。これは誰しも経験あると思います。やりたくないことをやるのはだるいですし、飽きるし、すぐ疲れますよね?
誰でもできる?
これですね、、。実はここは簡単にyesとは答えられませんね。能力というよりも適性やタイミングによると思います。
虫が嫌い。汚れるのが嫌。ウインドウショッピング大好き!みたいな人はちょっと難しいかもしれません。ただ、畑で野菜を育てていたりすると、自然と虫にも慣れるようになったりしますけどね。
あと、結構重要なのが周りの人とうまくいやれるかどうかですね。能力とかよりも実はずっとこちらの方が重要です。現代の風潮では競争で勝ち残るために自分の能力向上を目指す人が大半だと思いますが、それだけだとかなり弱いのです。能力が90の人一人よりも50の能力の人と二人でやった方が効果が大きいことが多いのです。お金を持っている人よりも人に好かれる人の方が畑や家もずっと借りやすかったりするんですよ♪
体験してみたい人集まれ!
自分は今、山梨県北杜市というところでビヨンド自然塾という自然体験施設を運営しています。
そこではスタッフやボランティアの方と共に自然を活用した暮らしをしながら、それを一般の人々にも体験してもらう機会を提供しています。
平日はボランティアを募っていたりもするので、泊まり込みでがっつり活動を共にすることも可能です。
興味がある方、連絡お待ちしております。