静香; 「学校とか市立だと子供に自由にやらせてあげるところがあるのだけど、公立とかは「あれやれ、これやれ」的なところばかりで、どんなもんかなと思う。子供には自由にやらせてあげたいけど、私立とかだと凄い授業料が高額だったりして、、、」
ソラディス; 「自由にやらせてあげればいいんじゃないの?」
静香; 「そうすると先生や周りから問題児扱いされて困る、、」
ソラディス; 「誰が困るの?」
静香; 「先生も、子供も、、」
ソラディスはニッコリとして聞いた。
ソラディス; 「そして自分も?」
ソラディスは続けた。
「自由にやらせてあげればいいんだよ。公立か私立かなんて関係ない。自由にやれる環境を作ればいいじゃないか。
「公立なら無理だ」と決めつけるのであれば、そこで終わってしまうよね。
「自由にさせるなら私立に!」と皆が思うのであれば、私立はドンドン自由になっていくだろうし、公立は逆に縛りがきつくなるかもね。
でも逆に、『公立こそ自由に!』と皆が本気で思っていたとしたらどうかな?
子供に自由にさせてやりたい親はドンドン公立に入れるよね。
先生にも子供に自由にさせてあげたいという親の気持ちは伝わるよね。
そうなったらどうなるかな?
公立が自由な校風になるんじゃないかな?
今は指導要綱とか色々と決まり事があるのかもしれないけど、そんなのよりももっと大切なことがあると思うのであれば、それを先生たちに教えてあげればいいじゃないか。」
静香は「そうは言っても、、、」という顔つきをしている。
ソラディスは説明を続けた。
ソラディス; 「自分の国では、皆が皆、自由に行動している。それは当たり前であり、皆が尊重している。
宿題をしてきましょうね?と先生に提案されたとして、したくなかった場合には「したくありません」と告げればいいんだ。うちの国ではそれですぐにわかってもらえるのだけど、静香のところだったら説明をしてあげたらいいと思う。
「私は宿題をしてきたくはありません。なぜなら、私には他にやりたいことがあるからです。」
そしてそのやりたいことに対しての自分の情熱を伝えてあげればいいんだよ。
先生はなおも迫ってくるかもしれない。
「取り敢えずやってきなさい!」
そうしたら聞いてみたらいい。「なぜ宿題をする必要があるのですか?」
先生は先生で、子供の為を思って宿題をするように言ってくれているのかもしれないだろう?
生徒に納得の行く説明をして、自発的に宿題をしたくなるようにしてくれるかもしれない。そういう自発的行動を促すのが真の教育者なのではないかな?
子供が自分自身で言えないのであれば、静香が先生に代わりに子供の思いを伝えてあげてもいいね」
静香; 「でも、そんな意見をしたら、モンスターペアレンツとか言われて非難されちゃう、、、」
ソラディス; 「それは相手を非難した場合だろう?思いを伝えるだけだから大丈夫。逆に理解してくれたら応援者になってくれるよ^^」
静香; 「確かに言い方によりますよね、、、。不満とか怒りとかがやっぱり出ちゃうから、、、難しいなぁ。」
ソラディスは思った。
不満、怒り、、、
多くの人間が口にするこの言葉、、、
自分の世界ではこのような概念は生まれない、、
『現実世界』と人間が呼ぶものに対する認識が人間と我々ではまるっきり違う、、、
そんな事を考えていると、静香は質問してきた。
静香; 「ソラディスは不満や怒りを感じることはないの?」
ソラディス; 「無いね。不満というのは、目の前の状況を他の人や物のせいにしている事だよね?自分の場合は、すべての出来事、物事は自分が創り出していると認識しているから、、」
「目の前の出来事に不満を持つことよりも、目の前の出来事をいかに素晴らしい物に変えていくかを考えるほうが面白いだろう?そして、行動して初めて本当に目の前は変わっていくんだよ。」
静香は衝撃を受けた。
不満を感じないだって?どういう見方なの?
すべてを受け入れるってこと?
無言でいる静かにソラディスは微笑みながらもう一度言った。
ソラディス; 「試してごらん?思いは伝わるんだよ。目の前は変わっていくんだよ」