ボランティアスタッフのHちゃん ~東大経営学科の私が就活を辞めて、田舎暮らしを始めるまでの話~

ビヨンドにボランティアに来てくれているHちゃん。ブログで想いを語ってくれましたので紹介します。

以下、本文。

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東大経営学科の私が就活を辞めて、田舎暮らしを始めるまでの話

 2020年12月、私は東京を離れて山梨の田舎に移り住むことを決めた。その時は、決断したというよりも、その選択が心の中心に存在するという感覚だった。
「東大生なのにもったいない」
「逃げているだけなんじゃないか」
そんな言葉は自分の内からもう聞こえて来なかった。

私は今大学3年なので、4月から休学して山梨県北杜(ほくと)市に移住する。まだ卒業のための単位が残っているので、1〜2年したら一旦東京に帰ってくるけれど、少なくとも数年は山梨に住もうと思っている。あまり先のことは分からないけれど定住も視野に入れている。

今は4月からの田舎暮らしがとても楽しみだけれど、就活を辞めて田舎暮らしをするという決断をするまでは、なかなか苦しい葛藤の日々だった。

目次

就活のエントリーシートが書けない

「就活」という言葉がちらほら聞こえてくるようになったのは、大学3年の4月頃。周りに流されるように説明会にいくつか参加してみたものの、心から入りたいと思える企業は見つからなかった。エントリーシートを前に志望動機を何時間も考え続け、結局書けないまま数日が過ぎ締め切りが終わってしまう、というのを何度も繰り返した。意欲がないわけではなかった。ただ、ES、グループディスカッション、面接、自己分析、その一つ一つに気力と体力を吸い取られているような気がした。たった30分の面接のあと、ぐったりしてしまい一日寝込んだりもした。せっかく選考を通過したインターンも考えるだけで体が重くなり、結局辞退してしまった。なぜこれほどまでに就活に気力と体力を奪われてしまうのか、分からなかった。

ESが書けない、その理由を探るべく瀬戸内の無人島へ

無人島との出会いは一年前の大学2年の夏だった。無人島プロジェクトというNPO団体が運営している2泊3日のサバイバルキャンプに参加した。それ以降無人島大好きになってしまった私は、今年度は運営スタッフとして無人島キャンプに参加させてもらった。無人島キャンプでは、全国から色んな年代の人たちが集まり、電気もガスも水道もトイレもない無人島で共同生活を送る。社会的な立場や年齢の違いは取っ払い、皆対等に関わり合うのがルールとなっている。

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無人島では沢山の刺激的な出会いがあった。ひとつひとつ書くと長くなりすぎるので割愛するが、「高校→大学→就職」という人が圧倒的に多い環境で生きてきた私には、想像もつかないような生き方をしている人に沢山出会えた。

9月、今年度2回目の無人島キャンプの時、ある人に夜な夜な将来のことについて相談に乗ってもらった。

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真っ黒な水平線と遥か遠くに見える街の光を横並びで眺めながら、考えがまとまらない私の言葉をゆっくりじっくり聞いてくれた。その時ふと、

「自分が東大生だというのが苦しい。」

という言葉が自分の口から出てきた。それまでそんなことを考えたことがなかったので自分でも驚きだった。その時初めて、「東大生は(俗にいう)エリートコースに進まないともったいない。」という思い込みに自分がかなり強く縛られて、苦しんでいたことに気がついた。

「出会った人の数と経験が圧倒的に足りてないんだと思う。」
「どんな選択でも応援するけど、自分がつまらないと思う選択はするなよ。」

その時言われた言葉が、無人島から帰った後も私の中に残り続けた。

壊滅した無人島の話

無人島という非日常な空間や、そこで出会った個性豊かな人達は、いい意味で私の固定観念を打ち壊してくれた。無人島には、東京にあるものはほとんどない代わりに、東京にないものが沢山ある。綺麗な海、豊かな生態系、大きな流木、音も煙も気にせず遊べる広いフィールド。これらは工夫次第で食糧にも暖房にも寝床にも遊びにもなる。商品化されたものが何もないからこそ、そこにある資源を使い、知恵を働かせて必要なものを作る。それがすごく楽しかった。

 無人島という空間では働くこと、遊ぶこと、作ることの区別が曖昧で、全てが「生きる」ことと密接に繋がっていた。人や自然に支えられて生きていることがよく分かるからこそ、生きる喜びみたいなものを感じることができた。

今の社会では、「仕事」と「プライベート」、「労働」と「余暇」のように、生きる上での営みが分化され、さらに効率的に生産活動を行うために人の行う「業務」も細分化されている。

 もし無人島に「現代人」が進入し、このような細分化社会を作ったとしたらどうなるだろうか。ある人はひたすら木を切り、薪だけを売り続ける。薪を買う人はひたすら火を焚き続け、暖をとる人にお金を払わせる。釣りをする人はひたすら魚だけを釣り続け、調理人に売り、調理人はひたすら調理して食事を売る。みんな自分が多く売ればお金が手に入るから、魅力的な営業・宣伝をし、ある時は安売りなんかを行う。そして、購買意欲を刺激された人々はそれらを買うためにより多くのお金を欲し、労働量も生産性も上げる。その結果、生産量は無尽蔵に増え続け、誰も本当に必要な量が分からなくなり、大量の廃棄が海に埋められ、生態系は壊れ、無人島の資源は瞬く間に枯渇してしまう。

しかも恐ろしいのは、「現代人」はみんな忙しすぎて、同じ無人島の中で魚が無慈悲に殺されるところ、海に大量の廃棄が捨てられるところ、豊かな生態系が壊れるところ、資源が枯渇していくところを見ていない。仮に見ていても忙しいから何もできない。

 これと同じようなことが、今地球上で行われているのではないか。

無人島でぼんやり海を眺めながら、そんなことを考えていた。

「交換・競争の世界観」と「生きづらさ」

私が就活しているときに抑圧していた感情は、ビジネスが前提としている世界観に対する不信なのではないかと思った。大学で学ぶ経済学や経営学では、効率的にお金を循環させることを良しとしている。効率化するためにいろんなことを細分化し、あらゆるものや、時間や、人にすら「金銭的価値」を当てはめ、交換の取引きのなかに落とし込む。

そういった交換の世界観においては、効率的にたくさん交換の取引きができる人が「勝者」となり、一度に少ししか交換の取引きができない人は「敗者」となる。交換しないと何も手に入らないと考えるから、皆「敗者」になることを恐れる。だから企業も、そこで働く個人も絶えず「市場価値」を上げるために競争し続ける事になる。

私自身そんな企業の恩恵を受けているし、競争自体が必ずしも悪いことだとは思わない。競争が活力になって幸せに生きられる人もいるだろうし、適度に要領よくやって満足している人もいるだろう。でも、競争が苦手な人や、競争によって疲弊してしまっている人すらも競争に参加し続けなくてはならない構造になってしまっているところに、私を含めた多くの人の「生きづらさ」があるのかもしれないと思った

かといって、今の社会をむやみに否定したり、拒絶したりする気はなかった。それは就活を頑張っている友人や、今までお世話になった沢山の大人たちを否定することにもなりかねないし、そもそも自分の手に負えない大きなものを憎んで生きる人生は嫌だった。

ビジネスの世界における「交換・競争の世界観」が私には馴染まないことには気づいていたけれど、「それでも頑張って順応するのが大人なんじゃないか。」そんな考えが私の心にまとわりついて、消えなかった。

贈与を主軸とした新しい経済をつくりたい

そんなとき、同じ東大経済学部のある友人に約半年ぶりに会うことになった。彼も、就活をしたり経済学を学んでいるうちに、競争社会に対して同じような違和感を抱いていることを知った。自分ひとりで抱え込んで悩んでいたときに、同じ気持ちで言葉を共有できる人がいたことにとても救われた。

「交換ではなく、贈与を主軸とした新しい経済をつくりたい」

彼とはよくそんな話をした。

 人の心を豊かにするのは、交換ではなく贈与なのではないか。見返りを求めずに何かを与えるという行為が持つ意味を、現代社会は過小評価しすぎているのではないか。あえてお金を介在させないことで生まれる価値があるのではないか。

思い思いに話をしているうちに、自分の中に溜まってぐしゃぐしゃになっていた考えが、次々と繋がっていくような感覚がした。

贈与・共生のコミュニティー

さっきの破滅した無人島の話で、「現代人」が最初に犯した間違い。それは、全ての与えるという行為に「交換」という前提をおいたことだと思う。「交換しないと何も手に入らない」と考えるから、あらゆるものと交換できる「お金」を得ることに必死になる。そうしてお金を得るために無尽蔵に生産活動を行った結果、無人島は壊滅した。無人島には、みんなが生きていけるだけの資源が十分にあったにもかかわらず

私が参加していた無人島キャンプでは、みんながそれぞれの得意不得意を生かして薪を拾ったり、釣りをしたり、火を焚いたりしていた。でも誰も、「〇〇してくれないと××しない」という人はいなかった。誰かが集めた薪で誰かが火を焚くと、みんなが集まって話しだす。誰かが釣った魚で誰かが料理を作ると、それをみんなで美味しく頂く。そういう無償の繋がりの中でみんなが楽しく、仲良く生活できた。たった2泊3日の共同生活で、その後もずっと続くような深い強い繋がりが生まれるのだ。まさしくこれが、「贈与を主軸とした経済」なのではないだろうか。

「現実社会じゃそんな綺麗事は通用しないよ。」
と思われるかもしれない。確かに社会全体でそれをスタンダードにするには絶対王政から民主主義への移行レベルに壮大な革命が必要になるだろう。それまでにあと数十年、もしくは数百年かかるかもしれない。でも、コミュニティ単位であれば、すぐにでも実現できるんじゃないか。実現するなら、拠点は資本主義が浸透しきっていない、自然豊かな場所の方がいいだろう。そんなことを漠然と考えていた時に、転機が訪れた。

山梨県北杜市との出会い

12月、山梨県北杜(ほくと)市というところに行くことになった。先ほど述べた経済学部の友人が、北杜市で参加しているあるコミュニティを紹介してくれたのだ。たった二日間の滞在だったが、そこで交流した北杜市の方々は、私の心にそっと寄り添ってくれる人ばかりで、とても心温まる時間だった。

「この場所なら、できるかもしれない。」

直感的に、そう感じた。

北杜市は、新宿から高速バスで2時間半のところに位置し、豊かな自然に恵まれ、都市からの移住者も多い。耕作放棄地率は16.5%と高く、空き家も沢山ある。こんなに都心から近い場所に、使われていない資源が有り余っている。土があれば、食べ物が作れる。家があれば、寝床ができる。多少不便ではあるが、無人島よりは暮らしやすいだろう。何より、北杜市の方々のおおらかさがとても好きだった。

そうして4月からこの場所に住むことを決意した。

お金もない、スキルもない、それでも

そんなことを言っても、私には空き家を買うお金もなければ、畑を耕すスキルもなかった。そもそも空き家の改修なんて一人じゃできないだろうし、あまりに無謀な計画では親にも反対されるだろう。課題は山積みだったが、それでも何か方法はあるはずだと思い、北杜市についての情報収集を始めた。

「え、、、、、みつけた!!!」

意外とあっさり見つかった。それが、北杜市で室田さんという方が運営している「ビヨンド自然塾」というところだった。

ビヨンド自然塾の活動は、空き家改修、哲学ワークショップ、農業研修、家づくり、移住者支援、教育イベントなど多岐に渡っていて、そのビジョンも壮大で一言で説明することは難しいけれど、超ざっくりいうと、室田さんの「自由で楽しい世界を創ろう!」という想いに共振した人同士が繋がり、支え合っていろんな活動をする場所であり、まさに私の考える「贈与を主軸とした経済」を具現化している場所だった。「ここに行ってみるしかない!」と思い、すぐに連絡をとった。

「今週の土曜から2週間、そちらでボランティアさせて頂いてもいいですか?」

「ええ、いいですよ。」

こうして、私は年末に2週間山梨に滞在することが決まった。あまりに急だったので、長期インターン先のNPOやバイト先の方々、友人たちには迷惑をかけたが、みんな快く送り出してくれて本当にありがたかった。

就活を辞めて田舎暮らしを決意

2週間の滞在は、毎日が本当に楽しかった。鶏の世話、家づくり、菊芋の収穫、炭火焼き鳥、キムチ作り、中華料理パーティー、藁草履作り、花壇作り、五右衛門風呂、、、その他にもたくさんの経験をさせてもらった。スーパーにある規格品の野菜、パック詰めされた卵、まっすぐな角材で作られた家、そういう「商品」としての物ばかり見てきた私にとって、自然の中で工夫して何かをつくるということ全てが新鮮で、驚きの連続だった。

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↑鶏が産んだばかりの卵。少し温かかった。「卵って生まれるんだ…」と思った。

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↑ぱっと見雑草みたいだけれど、美味しく食べられた。「野菜って草なんだ…」と思った。

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↑小人の家づくりをさせてもらった。(天然の素材をそのまま使うので曲線が多く、手間がかかるらしい。)「家って作れるんだ…」と思った。

 自然の中で人と支え合ってはたらき、共に生きるということ、そういう共生の輪を広げていくことに自分も加わりたいと思った。「来年からもここでお手伝いさせてください!」というと、喜んで受け入れてくれた。

こうして、4月からビヨンド自然塾の古民家で田舎暮らしをさせてもらうことが決まった。

田舎暮らしの社会的意義

田舎暮らしをすることに何の意味があるのかと思う人がいるかもしれない。わざわざ若いときに行かなくてもいいと思う人もいるかもしれない。でも私が野菜を育てたり、空き家を改修したり、五右衛門風呂を炊いたり、地域の人たちと交流したりしながら楽しく暮らしているのを見た100人、1000人のうちの1人でも、「なんか楽しそう!」と思い、そんな生活にシフトして幸せに暮らせたとしたら、それだけで人の役に立てたと感じられるだろう。

日本は国土の3分の1が森林で、農地も空き家も有り余っている。都市にいると実感が湧きにくいが、住む場所も食べ物を作れる場所も日本中に沢山ある。だから、私の生活を真似する人がいたとしても、誰の利益も減らないどころか、衰退する地方の活性化にも繋がる。強いていうなら、日本のGDPはほんのちょっと下がるかもしれないけれど。

「自分なら、田舎に行ったら暇すぎて死んでしまう。」

こう言われることがあるけれど、私は暇になるのはいいことだと思う。暇だったら、困っている人を探して、その人のために時間を使えばいいと思う。

最低限のお金で豊かに暮らす

先日、京都の小さな集落で暮らす庭師の方のお家に行き、その暮らしを体験させてもらった。空き家を改修したお家で、薪ストーブや太陽光発電、井戸水を使用し、ガスや水道は通っていなかった。でも不便さよりも自然な温もりの方がずっと印象に残った。

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「必要な分だけ働いてお金を稼いで、作れるものは自分で作ったり、近所の人と分け合ったりして暮らす。所得だけみると最貧困層に当たるかもしれないけど、自分にとってはこれが豊かな生活だ。」

こういうお金に縛られない生き方を積極的に実践している人はとても少数派だと思う。でも、これからどんどん増えていくのではないかと思っている。若い世代の人たちは、子供の頃から不況のニュースを聞き、災害やコロナなど予測不能な事態が次々と起こるのを目の当たりにしてきた。物質的なものの価値はいつなくなってもおかしくないということを強く感じ取っている人ほど、お金やものに依存しない精神的豊かさを重視するのかもしれない。

今、社会で起こっている変化

そして、いつかそんなに遠くない未来に、社会の風潮が「競争」から「共生」に、「部分」から「全体」に変わる時が来るではないかと最近は思っている。自己啓発の分野では、「共同体感覚」を提唱するアドラー心理学の本『嫌われる勇気』が大ベストセラーとなり、マネジメントの分野では、組織をひとつの生命体と捉え、個人の主体性や全体性を重んじる『ティール組織』が大きな注目を集めている。またビジネスの世界でも、今この瞬間の気持ちや身体状況をあるがままに受け入れる「マインドフルネス」や「瞑想」がGoogleでも採用されるなどして注目され、多くの人が実践し始めている。SDGs(持続可能な開発目標)とかCSR(企業の社会的責任)という言葉もよく聞くようになってきている。

今、あまりに細分化され、全体最適より部分最適が重視されてしまっている社会や組織、個人の営みを統合させ、全体性を取り戻そうとする動きが活発になってきているのではないかと思う。

そうすると、「仕事」と「プライベート」を分けた二面的な生き方よりも、「働く」「遊ぶ」「作る」ができるだけ統合された生き方を望む人や、自分や企業の「市場価値」を高めるために競争するような生き方よりも、今あるものをみんなで分け合うような生き方を望む人が、今よりもっと増えるかもしれない。

無人島や北杜市で出会った沢山の人たちが、そんな生き方が可能であるということを私に教えてくれたように、私もそうなれたらいいと思う。

・・・・・・

とても長くなってしまったのですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。スキしてもらえたらとっても励みになります!

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99年生まれ、大学3年生。毎日9時間寝るのが得意です。忘れたくないことを忘れないうちに。