登場人物
五十嵐 徹(父)
恵美子(母)
聡サトシ(長男)
「はぁー、、、」小学四年生の聡は大きなため息をついた。
下の一階では母、恵美子と父、徹がまた何かを言い争っている。
「あー、なんでいつもいつも喧嘩ばかりしているんだ。もううんざりだ!!」
翌朝、聡は自分の耳が聞こえなくなっていることに気がついた。
それを知った母と父は慌てている。
聡にはなんて言ったのか聞こえなかったが、徹は妻に何か言い残して仕事に出かけていった。
恐らく、「医者にでも連れて行ってやれ。俺は仕事があるからもう、行く」みたいなかんじだったんだろう。なんかイライラしていた。
徹も恵美子もなんとかして聡の耳を治してあげたいと一生懸命だったが、数日経ってもさとしの耳は一向に聞こえるようにはならなかった。
恵美子は友達に相談すると、友だちから「体はこころと連動しているのよ。だから体を治すのならまずは心を治さなくちゃ^^ 聡君をまずは笑顔いっぱいにさせてあげなさいよ」とアドバイスを受けた。
恵美子は内心、「あんたんとこは子供が元気だからそんな悠長なこと言ってられんのよ。」とも思ったが、確かに最近、聡の笑顔を見ていないことに気づいた。
恵美子はその晩、徹に言った。
「徹さん、今度の週末に聡を連れて海に行かない?聡、海好きじゃない。」
「は?なにをのんきなこと言っているんだ、こんな時に!」
恵美子の思ったとおり、徹はイライラしながら答えたが、恵美子が友達からアドバイスを受けたこと、自分でもただ聡の笑顔が見たいということを熱心に説くと徹はしぶしぶ了解した。
「ふん、心で体が治るんだったら医者なんかいらねぇよ。でもまぁ、そこまで言うなら海に行くか。でも、どうなっても俺は知らないからな。」
恵美子は喜び勇んで聡に知らせに行った。
「絶対、聡、よろこぶわ!」
と思ったのだが、聡の表情は暗い。
心配になり、
「海じゃ嫌だったの?どこか他のところが良かった?」と紙に書いてみせると、聡は答えた。
「お母さん、ごめんね。僕の耳が聞こえなくなっちゃって。僕、別にどこにも行かなくていいよ。大丈夫だからそんなに心配しないで。」
恵美子はショックだった。
こんな状況になりながらも、こんなに私達に気を使ってくれているなんて!
恵美子は泣きながらただ「ありがとう」と言うと聡を抱きしめた。
胸がつまり、何も言葉は出て来なかった。
そのことを徹に話すと、徹は一言「そうか、、、、」と言ったきり黙り込んだ。
次の日、徹は会社の帰りに海に浮かべて乗れる大きなイルカの形をした浮き袋を買ってきた。
「聡、土曜日に海に行くぞ。これ、一緒に乗るか。」
「僕は乗れるけど、お父さんには小さすぎるよ!」
聡の顔に少し明るさが灯った。
その後も何度か週末に家族で出かけたり、家族でトランプをして遊ぶことが多くなった。
聡は考えた。
「僕はなんで耳が聞こえなくなっちゃったんだろう?」
「あの頃は毎晩毎晩お父さんとお母さんが喧嘩していたなぁ。本当に嫌だった。」
「でも、今はお父さんもお母さんも一緒になって僕を喜ばせてあげようとしてくれている」
「こないだなんて次はどこ行く?みたいな話を二人で笑いながらしていたな、、、」
「耳は聞こえなくなっちゃったけど、今、凄い幸せだなぁ、、、」
翌日、徹は恵美子にぼそっと言った。
「お母さん、僕、耳は聞こえなくなっちゃったけど、今、幸せだよ。お父さんもお母さんも皆、仲良くして笑っているから。」
恵美子はドキッとした。
そういえば、以前はいつも徹と言い争いばかりしていた。
聡はもう寝ていて聞こえないだろうと思っていたが、しっかりと聞かれていたんだ!
恵美子は恐る恐る、徹に聡が言った言葉を伝えた。
徹は、「そうか、、、それは聞きたくなかっただろうな、、。本当に申し訳ないことをした。」
と、素直に後悔しているようだった。
「私がもっとしっかりしていれば良かったんだけど、、」
と恵美子が言うと、
徹も「いや、俺も仕事が忙しくてイライラしているのもあって、ちゃんと話を聞いてあげていなかったから、、」と答えた。
この日を境に、家族同士でのへんな気遣いや遠慮などが剥がれ落ち、自然に笑顔や笑いが起きるようになった。
そんなある日、普段いつも遅くまで寝ている聡が朝五時に起きてきた。
「あら、早いじゃない!どうしたの?」と聞くと、
「お母さん、聞こえるよ!耳が聞こえるんだ!!お母さんの目覚ましが聞こえて、それで目がさめたんだ!」
あれから数年、
恵美子と徹は今でもこのことについて話す。
「あの時聡の耳が聞こえなくなったのは、神様が私達に仲良くした方がいいよと教えてくださっていたのかもしれないわね。」
「あぁ、・・・そうだな。」