価値観は作られる

正にはにもうすぐ三歳になる男の子(真司)がいた。
すくすく育ち、一人でトイレにいくこともできるようになったのを見て、嬉しく思っていた。

妻も「しんくん、凄いね!一人でうんちもできるようになったんだね^^」というと、
真司も「うん、しんくん、もうお兄ちゃんだから!」と満面の笑みで返すのだった。

夕食時に笑いながら真司は言った。
「おしっこジャージャー、うんちボトッ!」
真司の姉、優花(7歳)はそれを聞いてウケていた。

が、、この状況を妻の景子は快く思わなかった。

景子「しんくん!そんな下品なこと言っちゃダメ!食事中なんだから!」

真司は戸惑ったような表情をしたが、すぐに言われたことを忘れ、繰り返した。
「おしっこジャージャー、うんちボトッ!」
優花はそれを聞いてまたウケている。

景子はダンダンと苛ついてきた。
「しんくん、何度言ったらわかるの?」
言葉には力が入っている、、、それを感じた真司はうつむき、悲しそうな表情をしている、、、

正は「うーん、、、」と心のなかで唸った。

真司にしてみたら、これまではうんちやおしっこができたりすることは褒められる対象だったのだが、今では言及すると何故か叱られる、、、、
悪気がないどころか、喜んでもらえるのではないかと思って言葉に出している真司にはまるで非はないんだ。

しかしながら、妻の言いたい気持ちもわかる。
「そんなのが口癖になったら外に行った時に困る」
との思いがあるのだろう。

でも、外に行った時に、なぜ困るんだろう?
誰が困るんだろう?

「うんちやおしっこなんて下品です!」という人はうんちやおしっこをすることはないんだろうか?

人前でイチャイチャしているカップルを見て、「なんてみだらな!」なんて言う人に子供がいたりしたら、、、矛盾はないんだろうか?

正は考えた。
そしてこんなことに気がついた。

価値観は自分だけでなく、周りの影響も受けてしまうんだ!

うんちやおしっこを下品だと思っている人は、恐らく自分もそのようなことを言及した時に「下品だからやめなさい」と言われた経験があるんじゃないか?

もし、周りの人が皆、「うんち」や「おしっこ」に対して悪い印象を持っていなければ、誰も下品だなんて価値観は持たなかったんじゃないのか?

正は中国やインドに行った時のことを思い浮かべた。
「あっちでは、壁もなく、道路なんかでも大人が普通に排便したりしていたな、、、それに関して、周りの人もだれも引いたり眉をひそめたりはしていなかったな。まぁ、他の日本人観光客の人はびっくりしていたけど^^」

そして、価値観の形成は周りの影響を強くうけるということは、自分自身で強く経験していた。

まだ優花が今の真司位だった頃、正は優花と二人で「坊主めくり」をやっていた。
優花はこの単純な遊びを大変気に入り、喜んでやった。

正「髪の毛がないのがお坊さんね。これをひいたら自分のカードはすべて真ん中に戻すんだ。」
「おっと、この蝉丸って言うのは、帽子をかぶっているからわかりにくいけど、実はお坊さんね^^」

などと話すと、蝉丸のカードを引きながら「うわー、蝉丸~!」などと言ってはしゃいでいた。

ここまでは良かった。

だが、その後にうっかりと口に出した自分の言葉が、この単純な遊びを「怖いもの」に変えてしまった、、、

優花のカードが順調に増えてきた時、「お~、だんだん増えてきたね!」と言い、
坊主が来た時に、「あら、全部”取られちゃった”ね^^」と言ったのだ。

正としてはルール上、それは当たり前であり、それが白熱するところだと思っていたのだが、娘にはちょっと違った感情を持たせてしまったのだ、、

”取られちゃった”という表現が不味かった、、。

今まであれほど楽しんでやっていた優花は、自分のカードが積み上がれば積み上がるほど不安になった。
「こんなにカードが多くなってきたけど、また坊主が来たら”取られちゃう”んでしょう?」

お金があればあるほど、ガードマンを雇ったり、金庫や鍵、保険の心配をするようになる大人と同じだ、、

カードを挟んで対面に座っていた優花は正の膝の上に移動し、「パパ~、怖いからパパが引いて、、、」と言い出した。

自分の中では坊主を引くのが面白いと思っていたのに、優花は坊主を引くのは怖いものだと認識するようになってしまったのだ。しかも、明らかに自分の言葉のせいで!!

正はその時、強く思い知らされた。

言い方には気をつけないと、、

その後は坊主を引くのは怖いことではなく、楽しいことだよ!と伝えるために色々と話したりしてみたのだが、当初のような盛り上がりには戻らなかった、、、

正は、怒られてシュン、、となった真司の表情を見ながら強く思った。

うんちやおしっこ、その他なんでも、言いたいことを誰もが自由に言えるような世の中にしていきたい。
そのためには、まずは自分がすべてを許容することだ。

そして、その許容の心地よさを皆に知ってもらうことだ。

子供たちはこれから、学校や保育園などで色々と『教え』や『しつけ』というものを受けていくだろうけど、自分はいつでもすべてを許容し、『何を思ってもいい、何を話してもいいんだよ』と言い続けてあげるからな!

すべてを許容された子供たちは、その子供たちのすべてを許容してあげることができるだろう、、、

そして、皆が皆、自由に気軽に思ったことを口に出す、、、そんな世の中になっていくといいな、、

正はそんなことを思いながら、箸を進めた。

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