親の評価は気になった
さて、、自分自身、「落ち着きがない」という評価は悪いものではないと思っていましたが、親がそれに対してどう思っているかは気にかかりました。
そこで何年生のときかは忘れましたが、相変わらず「落ち着きがない」と評価されている通信簿を母親に見せた時に尋ねてみました。
「なんか毎回『落ち着きがない』って書かれるんだけど、、、」
母からの教え
そのままで良い
母親は笑いながらこう答えました。
「あなたらしくて良いじゃない」
私はこの言葉にいかに救われたか!!
言葉には出しませんでしたが、母はこのように思ってくれているんだなと感じて私は嬉しくなりました。
「誰が何と言おうと、私はあなたの事をわかっている。心配する事無いのよ」
その後も、母親の私に対する態度はいつも変わりませんでした。
「あなたはあなたのままでいい」
神様は見ている
母や祖母からは神様のお話も聞きましたが、これも自分には良い影響を与えてくれました。別に宗教的な話ではなく、どこの家庭でも言われるような話です。
例えば、、
「悪いことしちゃ駄目よ。バチが当たるわよ。」
これは子供がよく聞かされる言葉だと思います。自分も似たようなことは言われたような気がしますが、自分にとって良い学びとなったのはこの様な抑制とは逆側の使われ方でした。
例えばこんなものです。
「神様は見ていてくださる。善い行いは必ず報われるものよ。」
神様や鬼、先生などは怖い象徴のように扱われ、それらに怒られないように頑張れ!と脅し的に使用される例が多いと思います。しかし逆に、神様が自分の応援者であるというような意味で話してくれたのです。
実は自分は後に、人生観がまるっきり変わるような大きな変化を経験したのですが、この教えはそこに至るまでの重要な一歩だったかも知れません。
参照『思考は現実化する』が本当かを突き詰めるため、仕事にも出ずに9年も真理探求をした結果、、、、『信じる力』が生まれ、神秘体験が繰り返されるようになった話 vol.1 ~懐疑からの始まり~
この教えを受け、自分はこのように考えました。
「自分に素直でいることは確実に『善い行い』のはず!!お母さんは認めてくれている。それに、神様も見てくれている!」
人の目を気にしすぎることなく、自分の道を進む下地が出来たのです!
無私の心
そしてもう一つ、母親から得た大きな学びがあります。それは『無私の心』。
大学生のとき、自分は強烈な競争主義でした。「人より優れていたい!」
このような私に、素晴らしい気づきを与えてくれたのが母だったのです。別に何を教えてくれたわけではなく、ただ母の行いが気づきを与えてくれたのです。
当時、母は英検の準1級を受けようと勉強していました。「何事も気合い!」という考えだった当時の自分からすると、母の勉強は非常に生ぬるく感じました。「何が何でもやるんだ!」という気合が見られなかったからです。
母が勉強をしていると、娘(私の姉や妹)が母親に頼み事をしたりします。すると勉強をやめ、サラリと彼らのために動き出すのです。
自分は思いました。『自分だったら「今忙しいから、後にしてくれる?」と、確実に自分を優先していただろう、、、』
このような母の行為は、じわりじわりと自分の心に影響していきました。「自分のことだけを考える自分よりも、子供達のことも考える母親の心の方がよっぽど大きいな、、、。」
認めてくれる人の存在
自分のことだけを考えるのではなく、周りの人の事も受け止めてあげるような母だったからこそ、小学生時代の自分に対し、「落ち着きがないなんて評価、気にしないでいいのよ」という風に思ってくれたのでしょう。
もし母親が競争主義で、「そんな事では他の子達に遅れちゃうじゃない!ちゃんとしなさい!ちゃんと!!」というように言われていたら自分は悲しかったでしょう。
それがはっきりとわかったので、自分の競争主義的な考えは小さくなっていきました。
そして、「自分も周りの人をそのまま受け止めてあげれるようになろう!」と思うようになったのです。すぐにそのようになれたわけではありませんが、、、