どうすれば?じゃない、それをどう受け止めるかなんだ ~自分の考え方・背景~

どうすれば?じゃない、それをどう受け止めるかなんだ ~自分の考え方・背景~

今回はちょっと自分の背景を話そうと思います。

人々にはなかなか理解してもらえないだろうし、受け入れられない人が大半だろうとも思うので、これまでできるだけ深くは触れないようにしていたのですが、ちょっとだけ書きます。

自分の考え方の背景を伝える必要を感じて

きっかけはある人から

「一般受けする(多くの人が聞きたいことに対する)記事を書いたら?」

という意見を頂いたことです。

受けを狙うのであればそうでしょうね。
でも自分が狙っているのは受けではなく、『違う視点の提案』なのです。

何を言っているかわかりませんよね?すみません。

皆が聞きたいことに答える形であれば受けが良くなるのは理解できますが、実はそれはあまり意味がないんです。

まるっきり意味がないわけでもないのですが、大分意味が薄いです。
というか、まるっきりただのオマケなのです。

  • どうすればできる?
  • それをやるにはどんなスキルを習得する必要があるの?
  • それ、本当にできるの?

人々はこんなことを知りたがりますが、自分が伝えたいことはそれとはまるで違うんですよね。
自分からすると、こういうことを知るのはオマケで本質とはまるで離れているので、人生を全うするのにはそこに集中するべきではないと思うのです。

こんなことを書いても、「何を言っているんだ?こいつは?」となるでしょう。
そりゃそうです。自分もそうなると思っています。

でも、自分の中ではこのような回答が当たり前なのです。

これまでの記事ではその背景を伝えてないなかったため、何を言っているのかよくわからないと思われた方も多かったかもしれません。

現実はただの幻

その背景をちょっとだけ伝えると、実は自分は『現実と皆が呼ぶ現象はただの幻である』と思っているのです。
だから、その幻自身に集中するのは意味ないよと思っているのです。

自分は過去に物凄く集中して精神探求をしたことがあり、それが正しいと身をもって体感してしまったのです。

不安なども持たず、いつも笑っているのはその背景が原因です。

自分の書く記事がたまに理解しにくいかもしれないのもそんな背景があるからです。

人生は夢みたいなもの

人生は夢に似ています。

夢の中でAさんが自分を殴ったとします。
夢から覚めてもAさんに恨みの気持ちを持つかもしれません。

でも、実はただの夢で、Aさんは実際に危害を加えていなかったとしたら、Aさんのことをずっと恨み続けたり復讐の方法を考えたりするのはアホらしくないですか?

自分は自然体験施設を運営しており、自然の中で自由な生き方を希望する人たちが集まるコミュニティとなっていますが、そこに集まる人の中には以下のようなことに興味を持つ人が多いです。

「パーマカルチャーってどうやるの?」
「自然を使って家を建てるのって難しいの?どうやってやるの?」
「自然農法ってどうやるの?」

自分はそういうジャンルについて人に教えるための記事を書くこともできはします。

でもそのような形では書いてきていないのは、先ほどの背景があるからなのです。

自分は現実は夢のようなものだと思っているので、それらの質問は自分にとっては「夢の中で何をすればいい?どうすればいい?」と聞かれているような感じなのです。

夢の中でAさんにいじめられたのだが、どうやって復讐すればよいのか?と聞かれたら、誰しも「はぁ?」となりますよね?

ただ、この背景は紹介することはできても他人に証明することはできません。
だから、話しても誤解を生むだけかもしれません、、、

だから自分が言っていることはサラリと聞き流してくれればいいと思っています。
ただ「あいつはあんな考えで生きているのか」とだけ思ってもらえれば、いままでの自分の記事の意味がちょっとはわかってもらえるかなと思います。

目の前で起こっていることはメッセージ

ちなみに、現実は幻だとは思っていますが、だからといって意味がないとは思っていません
幻を見るのは、自分に気づきを与えるためのメッセージだと思うからです。

だから自分がいつも重要視しているのは、現実(幻)で何が起こっているかではなく、その現実(幻)が自分に何を伝えようとしているのか?を真剣に考え、感じようとすることです。

だから、形式的なことを知りたがる人たちに対する自分からの回答はこんな感じになりますね。

「どうすれば?じゃない、それをどう受け止めるかなんだ」

パーマカルチャーや自然農法について形式的な事を学ぼうとするよりも、なぜ自分はパーマカルチャーに惹かれるのか?自分が自然農法をしたいと思うのはなぜなのか?自分が本当にすべきことは何なのか?というようなことに集中する方が意味があると思っているのです。

形式的なことに集中しているうちは、実はなかなか先に進みません。パーマカルチャーに興味がある人はそれ系のワークショップに行きまくったりしていますが、実際には自身の生活がパーマカルチャー的ではなかったりします。

そんな思いから、ビヨンド自然塾ではあまり形式的なことは教えないのです。
もちろん、実際の作業をするにあたって説明をしたりはしますが、ただ知識や技術を吸収するためではなく、自分で考える姿勢をもてるようになってもらうというのが基本スタンスなのです。

恋をしたり見たことがない人には『恋』について語っても理解してもらえないでしょう。
しかし、体感してしまえば当たり前になります。

幸い多くの人たちは寝ている間に夢を見、夢という概念については知っています。だからなんとか少しは自分の言っていることの意味が理解しやすくなっていると思います。

もし夢を一度も見たことがない人がいたら、その人にこの話をしてもまるで理解してもらえない気がします^^

”一般受け”よりも”気づき”

自分が記事を書くのは、伝えたいことがあるからで、その伝え先は、一般の方全員でなくても良いと思っています。殆どの人には理解されずとも、必要とする人たちに届けばいいなという思いでやっています

今の時代はインターネットがあり、多くの人たちの意見や考え方に触れることがしやすくなっています。
精神探求に興味がある方がビヨンド自然塾のブログにたどり着き、熱心に読んでくれたりするようで、「深く心に刺さった!」、「あれから毎日10時間も記事を読みまくっています!」などという声も頂いたりしています。

そして「ずっとモヤモヤしていたことに対する解決のヒントが凄くたくさん載っていた!」と言ってもらえたりもしているので、必要な人たちには届いていると実感しており、意義を感じています。

見える形にするのも意味がある

冒頭に書いた「一般受けする(多くの人が聞きたいことに対する)記事を書いたら?」という意見をくれた人は自分の理解者なのですが、一般の人にも私のことを理解してもらいたいと思ってくれているのだと思います。

そんな風に思ってもらえるのは嬉しいですね。

その人は他の人たちが喜び、共感するような写真を撮ってSNSで紹介したりしています。実際にそういうのを見ていると、「伝え方、大事だな」とも思わせてもらっています。

自分が写真を撮る場合は、「こんな写真はまぁどうでもいいんだよ。幻なんだから。形式的なものは意味がなくて、この写真で自分が何を伝えるかの部分をわかる人がいてくれたらそれでいいんだよ。」みたいな感じで適当に撮っちゃったりするので、そういうのを勿体ないと思ってくれているようです。

山や竹林などから材料を取ってきて可愛らしいお家(通称;小人の家)を建てましたが、自分の中では頭の中でできた時点で既に完成でした。だから「あとは実際に作っても作らなくても、まぁ、どっちでもいい。自分の中ではもうできたから。」という風に思いました。

それでも実際に建てたのは、実際に建てて見せるまでは人々にはメッセージとして伝わらないと思ったからです。

その実際に建ったファンタジックなお家の写真を見て始めて興味を持ったり、そんなのできるんだ?と希望を持てるようになったりするのですよね。

そう、自分の中では建てること自体は別に意味なくても、皆に伝わるメッセージの形にすることは結構意味あるなと思ったのです。

そんな感覚と今回頂いた「一般受けする(多くの人が聞きたいことに対する)記事を書いたら?」という意見が自分に与えてくれた感覚(伝わる形にすることは割と重要)とちょっと似ているなぁと思ったので、今回の記事を書いてみました。

自分の背景を伝えることで、自分がどのようなことを伝えたいと思っているかが少しでも多くの人にわかってもらえるようになったら嬉しいです。

終わり