野菜を作って売るためではない
『お告げ』に従って始めた農園、、はっきり言って何をするかとかはあまり考えていなかった(^_^;)
ただ、自分としては美味しい野菜が自然に育つような環境を創れたら良いなとは思っていた。
実際に野菜をあまり好きではなかった子供達が、自分の育てた野菜は喜んで食べてくれたりするのを見るのは感慨深いものがあった。緑の野菜は食べれないと言われていた子が、ビヨンドの試食品を抱え込み、自分のもののように食べ続けたりしたこともあった。
自分自身も全然好きではなかったミニトマトなどが実は美味しいことを知ったりして、野菜を育てることは楽しかった。
しかしながら、自分が食べれる量以上に野菜を育て、それを販売するという行為はしていてあまり面白みを感じなかった、、、
収穫して袋詰めして運搬、、、自分でただ食べるだけであれば簡単なものが、大量に売れ場に並べるということになると、色々と面倒な工程が発生した。しかも、その工程を経れば経るほど野菜の元気も失っていく感じがした、、、
ある時、野菜を収穫中にこんな感覚が強く心のなかに沸き起こってきた。
そして目の前に沢山の野菜を残したまま、自分は収穫をすることをやめた。まるっきり収穫しないということではなく、収穫したければ収穫するが、無理に収穫することはしないというスタンスだ。
自然の営みを通すと伝えやすい事が多い
自然の営みを見ていると、それは多くの気づきを人々にもたらすだろうと感じた。
子どもの体調が優れなかったら、すぐに医者に連れて行ったり薬を飲ませる人は多いだろう。子供のことを思うがゆえに心配になる。これは素晴らしい愛情表現だ。
しかし、もしかしたら子どもは思うよりももっと適応力があるかも知れない。もっと強いかもしれない。
自分は、こんな可能性を自然の営みを通して伝えたりしている。
>>バンブートイレ完成!
ある野菜が虫に食べられていたりすると、不安になって虫を殺そうとしたりするかもしれない。その虫が増えたら周りにある同種の野菜も食べられるのではないかと危惧したりもするだろう。
しかし自分がこれまで見た限りでは、ビヨンドではそのような事は起きていない。
色々な形でバランスが取られるようになっている。
葉っぱを鹿に食べられても見事に復活したり、茎を食べられたら、茎が復活するどころか本数が増えたり、、、、
実は自分が思うよりもはるかに生命活動は強かったりする。
食と住の不安を和らげることが出来る!
更に、自然は安心感ももたらしてくれる。
- 種を蒔けば食物が地面から生えてくる!誰もが見向きもしなかった土地から!
- 屋根さえ作れば寝ることも出来る。
- 調理や暖を取るための薪も周りにふんだんにある。
まさに食べて寝ることができる事を体感できてしまう、、、
これを知っていると知らないのではもの凄い違いが生じるだろう。
自分はサラリーマン時代に、ブルガリアに移住した人をテレビで紹介していたのを見たことがある。
ハッキリとは覚えていないが、確か生活費が7000円/月くらいだったと思う。
その方はやや自給自足的な生活形態で、家の裏で野菜を育てたり、近くの牧場の方からミルクを提供して頂いたりしていた気がする。
当時、自給自足などにまるっきり興味は無かったが、この事はしっかりと心に残った。
「7000円/月で生活できるのか?だとすると、一年で10万以下。という事は、500万あれば50年は生活できてしまうということか?!」
これは自分にとって素晴らしい安心材料となった。
『仕事のための人生』、『無理をしてまで嫌なことを続けなくてはいけない人生』という選択はしないでも良いということがわかったのだから♪
そして何故こんな事を話すかというと、自分は山梨に移住して農園を始めて強く実感することが出来たからだ。
こんな原体験を提供すべく、ビヨンドでは野宿体験などのイベントを開催したりしている。
なるほどね~
意味もわからずに始めた農園だったが、やってみるとかなり意義深いことがわかった。
そして、面白いことに自分が求めていた幾つもの答えを同時に満たしていた。
- 人々に体験を提供することで思いを伝えやすい
- 食住の不安を和らげることで、人々が自身の本当の気持ちに耳を貸す素地が作りやすい
- 自然の綺麗な場所に囲まれて暮らしたかったが、それが実現した
考えて得られた答えではないが、本当にしっくり来るな~。
自分はそう思うと、思わずニヤリとしてしまうのだった。
このSTORYで伝えたいこと
- やってみて初めて気づくことは多い
- 考えて得られる答えではなくても、有効なことが実は多い