『0点なんて最高じゃん!』何でも遊びにすることで、高3の半年で偏差値が31から75まで上がってしまった話 ~顔が輝かないようでは実力は発揮できないよ~



「勉強する暇はありません」

高校時代、自分はバドミントン部に所属していた。丁度数年後にオリンピックの正式種目にもなるという噂もあり、自分はそれに出るぞ!とトレーニングをしていた。
自分は熱中するとそればかりやる傾向があり、授業中も筋トレをしていたりと朝から晩までトレーニングばかりしていた。

そんな自分は当然、成績はよろしくなかった。
心配してくれた担任の先生は個人面談を開いてくれた。

先生 「このままでは進級も出来ないし、大学などにも進めないわよ」
ヤス 「自分は納得がいくまでトレーニングをしたいんです。残念ながら、勉強をする時間はなかなか取れません。授業を邪魔する気などはありません、ただ、自分にはやりたい事があるんです!」

自分は自分の気持を素直に話した。
ここで素晴らしいことが起こった!先生が自分の気持を理解し、尊重してくれたのだ!

こうして私は公的に?勉強よりもトレーニングを優先し続けた。



ドクターストップ

星飛雄馬バリにトレーニングをしまくった。昼休みでさえも海岸に走りに出かけた。
海岸にカップルが並んで座っているのを見ても、「自分は一番になるんだ!世界一の精神力を得るのだ!女と付き合っている暇なんて無いんだ!」こんな事を考えながら走りまくった、、
夕方に走っていた時も、江ノ島の方に沈む夕日などを見ながら「おぉ!輝きがすぐそこに!自分の努力は必ず報われるのだ!」なんて一人で盛り上がっていた。
この時の私はまさに競争主義だった。

トレーニングでは体を鍛えるというよりも、精神を強くしたいという願望が非常に強かった。
体格差などは埋めにくいだろうし、体で一番になることはあまり考えておらず、『精神だけではピカイチになりたい!』と考えていた

この修行僧的考えは、いかに辛かろうが私にトレーニングを休ませることはなかった。
むしろ、辛い時こそ『さらにガンバレ!』と自分を追い込んだ。

結果、半年で体は壊れた。最初にスネのあたりの骨が痛くなり、それをかばうように走ることで膝も痛くなった。更には腰も痛くなり、40度位ひねると激しい電流が走った!
そして同じ姿勢でいると腰が痛むようになった。これは実はかなり大変なことなのだ!

授業中に座り続けることが出来ずに早退したり、夜も寝ている姿勢を続けられずに途中で起きて散歩したり、座ったりまた寝たり、、

走ると膝が痛かったりしたので、自転車でトレーニングを続けた。
そんな事を続けていたら、物凄く体が重く感じられるようになり、遂には学校の階段を登るのも手の支え(手すりを手で引っ張りながら)がないと出来ないようになってしまった、、、
まるでおじいさんの様だった、、、これがジョークではなく本当に!

医者に行くと、『トレーニング過剰』だと伝えられた。スネの辺りも疲労骨折の手前だったらしい。
そして『運動はしばらく休みなさい』と伝えられた。そう、ドクターストップ^^

自分は鍛えれば鍛えるほど強くなると思っていたのだが、やり過ぎるとただ単に弱くなるということをこの時に初めて知った、、



友だちに誘われ、夏期講習に

高1で痛めた腰は高3になっても痛いままだった、、、。ジャンプすると激痛が走るので、飛ぶことも出来ない。
実は、運動ができなくなった私は高1の時にギターを始めたのだが、これもまたやりすぎて左手の調子が悪くなり、高3の時点ではギターからも遠ざかっていた。

そんな時、友達が学習塾の夏期講習に一緒に行かないかと誘って来た。

この誘いが自分の人生を変えることになる

この時まで自分は勉強には残念ながら全く興味が無いままで、成績は進学すれすれだった。



何だかウルトラクイズみたいだな!

講習では模試などが行われ、その順位が配布される紙に書いてあった。
全国で何位、偏差値いくつと言うのが書いてあるアレだ。
これを見て思った。

うわ!何だこれ、全国の高校生が参加するウルトラクイズみたいだな!
運動もギターも出来ないし、いっちょ俺も『ウルトラクイズ』に参加してみるか!

自分はその塾に通うことにした。

皆が『受験勉強』と呼ぶものは、自分にとってはまさにゲーム、遊びだった。
そう、そして好きなモノには熱中してしまう私の次のターゲットは『受験ウルトラクイズ』となったのだ。



面白く無いのにやっているの?!

学習塾ではすごい違和感を感じた。
かなり真面目な顔をして多くの人が教科書や参考書を読んでいる。

うん、かなり真面目そうだ。そう聞くと良いように聞こえるかもしれないが、、
眉間にしわが寄っている、、、 楽しそうにやっている人がそこにはいなかった、、、
どうも『受験に受かるためには勉強が必要なので、しょうがなくやっている』という感じだった。

その光景を見て思った。

こんなんだったらあっという間に自分が一番になっちゃいそうだな。

自分はずっと精神修行をしていたので、精神力だけには絶対の自信があった。

オリンピック行くのに比べたら、受験ウルトラクイズで上位に行くのなんて簡単だろ!

自分は本気でそう思った。
面白く無いのにやっている人と、「おぉぉ、おもしれ~!」と思いながらやる人とでは天と地ほどの差が出ることを感覚的に知っていたから、、

この時点での成績は、、、化学5点。物理12点、偏差値31だった。

自分にとってはその時点での成績なんかはまるで問題ではなかった。
なんたってそれまで勉強にはただ興味がなかっただけなのだから^^

もちろん興味を持ってしまったら、成績なんてものはまるっきり違うものになるのはわかっていた



え?0点の方がずっと良いだろう?

他の受験生と自分では、まるっきり考え方も異なっていたのは面白かった。
友達は、模試の結果を見てショックを受けたりしていた。

友達 「うわ~、やべー、偏差値59だよ、、、早稲田E判定、、、こんなんじゃ受かんねえよ、、、」

他の大半の人もこのような考え方をしていたみたいだ。

隣にいた自分は言った。

ヤス 「模試なんて、点数が高くてもしょうがなくない?要は本番で受かればいいんだろ?むしろ、模試で100点なんて取れちゃうとしたら、時間の無駄だな。」

「俺なんて化学5点だぜ。でも、復習すれば次は100点取れる。すなはち、俺は95点分の儲けだな!模試で80点も取れちゃっていたら20点しか前進しない。俺は5点だから、かなり前進するぜ^^」

自分は本気でそう思ったのでそう言ったのだが、友達からするとその考え方よりも、その時点での私の偏差値の低さのほうが気になったようだ。

友達 「と言うか、、、今、偏差値31だろ?よくそんな余裕でいられるな、、、」

とは言いつつも、自分の性格を知っている友達は言った。
「確かにそうかもな、、。室田らしい考え方だな。」



君はどこも受からない!

自習室で嬉々として猛烈に勉強をしている自分の姿は塾のチューター(学校の担任みたいな感じの人)の目に止まった。
そして、その猛烈に勉強している私の成績を見て驚いたようだ。恐らくこう思ったのだろう。『こんなに勉強してこの成績、、、こいつ馬鹿じゃないのか?!』
そして言った。

「君はどこにも受からない!この時点でこんな成績で!」

明らかに馬鹿にしているような態度だった。
塾のチューターと言うのは、生徒を勇気づけ、前進する背中を押すのが役目ではないのか?とかなり驚いた。
別にその態度に腹が立つことはなく、むしろそのチューターに教えてあげようと思った

口には出さなかったが、心のなかでこのように言った。

『自分は勉強を始めたばかりです。成績が良いわけ無いでしょう?この時点で生徒に諦めさせるようなコメントをするのはもったいないですよ。今からでも成績は伸ばすことは出来ます。私がそれを証明して見せてあげますよ^^』



0点は取り続けられない!(加速曲線)

三ヶ月ほど経過しても相変わらず模試では底辺を進んでいた。偏差値35~41くらい

模試は同じ会社が作成しているようで、流石に同じ問題はなかなか出題されない。
だから、毎回低い点数が続いたのだ。しかし、出てくる問題全てを吸収し続け、その間に自分でもわからない所を発見し、学んでいたので着実に成長しているのはハッキリと感じていた。

自分はなんとなく国立の大学に行きたいと思ったので、必然的に勉強する科目数は多くなった。五教科七科目だ。
その膨大な範囲を全て網羅するのには少し時間がかかりそうで、自分の感覚からすると4~5ヶ月位は成績が底辺を這いそうだった。

五ヶ月もすれば、遂には模試でも同じ問題が出現しだすだろう。自分が答えられない問題など出し続けられないだろうな^^
その時、自分の偏差値は急激に上昇する。恐らく、跳ね上がるだろうね。

こんな事を考えてウキウキしていた自分は友達に話した。

「俺の成績はこんなふうになると思うよ。」

手を横に動かしながら

「12月頃までは偏差値は40位で横に推移するけど、そこからは、、、」

手をグイーンと上に伸ばして

「一気に跳ね上がる!多分そうなるよ。」

友達は割と信じてくれていた感じだったな^^



面白くやったらいいじゃん!(学ぶためにやっているんだろう?)

勉強に対する心構えが違うからか、勉強の仕方も自分は人とは全然違った、、、
自分はただ、分からない問題を発見し、それを分かるように変えていこうとだけ思っていた
そうすればいつかは、わからない問題なんてなくなるからね。
こういう考えだったからこそ、テストが0点であることはむしろ素晴らしいと思ったのだ。

自分からすると当たり前の考え方であり、当然、皆そうするものだと思ったのだが、、、

面白いことにそのような考え方をする人は周りには見当たらなかった。

自分が問題集を解くときは、わかりそうな問題はすっ飛ばし、読みさえもしなかった。だんだんわからない問題がなくなってくると、一つの問題集で2、3問くらいしか解かないということもあった。

だが、周りでは問題集を模試のように解き、「やった!80点も取れたぞ!」みたいなことをしていたりした。
人によってこんなにやり方が違うんだ、、、面白いな。

自分を夏期講習に誘ってくれた友人が英語の勉強をしていたのを見て驚いたこともある。
自分とやり方があまりにも違ったからだ。しかし、どうも彼のやり方がスタンダードだったらしい、、、

自分は赤毛のアンを英語で読んでいた。教科書とか過去問なんて言うのは、自分からすると文章が面白くなくて読む気にならなかったんだよね。
そして赤毛のアンの内容に引き込まれた自分は、自習室で感動したり、胸が熱くなったりしながら楽しい時を過ごしていた。
意味が知りたくて辞書を引きながら夢中で読んだ。

途中休憩をしようと友達の所に行くと、なんと見開き1ページの過去問をまだ説いている最中だった!

自分は衝撃を受けた。
自分が何十ページも喜んで読んでいる間に、なんと見開き1ページ、、、、
しかも読むのではなく、悩んでいる!!

自分からすると、語学の習得に悩みなんて言うのは邪魔ぐらいに思っていた。
自分が日本語を覚えた時には悩まさせられなかった。

まだ話せない小さい時から、「鉛筆「は」持ちます、鉛筆「に」持ちます、鉛筆「を」持ちます。どれが正しいですか?」
なんて聞かされ続けたら混乱していたと思う。いまだにえーと、、、「に」だったかな?いやまて、「に」と書いたら不正解で正解は「は」だったっけかな?う~ん、難問だ!なんてやっていたかもしれない。

友達はまさにそんなことを英語の問題の前でやっていた。
自分は言った。
ヤス「鉛筆「に」か「を」かなんて考えるか?考えないだろう?鉛筆を持つ。ただこう思うだろう?なぜそう思うかというと、ただそうとしか聞かされていないから、ただそうとしか使ったことがないからだ。in order ()の答えは to だ。何故か?赤毛のアンはそう言っていたからだ。マシューだってそう言うと思うよ。もっとバンバン英文を読んだほうがいいんじゃないか?俺なんか数十ページも進んじゃったぞ?」

それに対する友達の答えは、彼らしかった^^

友達「確かにその方が効率が良い気もする。でも、実際に問題に出るのはこういう英文なんだ。皆もこうやって勉強しているんだ。」

まぁ、本人よりもはるかに偏差値の低い自分からの助言には、やや説得力は低かったのかもしれない(^_^;)

自分は古文も漢文も同じやり方で、古文で枕草子とか源氏物語を読んだりしていた。
漢文も孔子の論語とかをただ読んでいた。
自分は自分のやり方が合理的であることを確信していたから^^
そして何よりもそれは『勉強』ではなく、まさに娯楽だったのだ!

特に、漢文で孔子を読んでいて弟子の顔回についての記述には感動した。「顔回というものは、過ち再びせず」とあり、その『過ち再びせず』が猛烈に自分の胸に刺さった。

顔回!凄い、、自分は同じ問題をまた間違えてしまったりすることがある、、、過ち再びせずか、、、それは凄いことだ!

漢文を勉強しているというよりも、人生についての勉強みたいになっていたな^^



いきなり偏差値70超え!

四ヶ月した頃には偏差値は51とかになっていた。グイーン!の一歩手前だ!自分はそう思った。

そうそう自分が答えられない問題ばかりを持ってこられることはないだろう。フフフ、飛躍の時は近い!

などと思っていた時にまた、模試が開催された。

テスト中、思わずニヤリとした。
はっはっは!やはりそうか!こんなの簡単だぜ!

結果はいきなり偏差値71とかだった。偏差値60台なんていうのはいきなりふっ飛ばした。そして、友達にその結果を見せた。

友達は「すげえな!」とは言いつつも、それほどの驚きはなかった。
結果を見せる前から”こいつなら出来るだろう”と思っていてくれたようだ。この友達は部活も同じであり、自分の性格や行動についてはよく知っていたんだ。

自分はもう一度友だちに言ってみた。
「な?言ったとおりだろ?英語の勉強とかさ、俺みたいにやればもっとずっと楽だぜ。」

しかし、彼はその提案には乗ってこなかった(^_^;)
彼の言葉はこうだ。
「そんなのは室田だから出来るんだ」

こういう答えはよく聞く。『自分とお前は違う、お前には出来るかもしれないが俺には出来ない。』
でも、実はそうではないんだよな。
自分の感覚ではこうだ。
『あなたは疑い、行動に移していない。自分はただ行動に移してみた。進むことが出来るのは行動に移す者だけ。あなたもやれば出来る!まずは一歩踏み出すことでしょう?』

ここは非常に重要だ。
心構えが変わった瞬間に行動は変わる、そして目の前に起こる出来事さえ変わるのだ!

そして「この事は是非多くの人に伝えたい!」と後にライフワークにまでなる、、、

ちなみに、自分とはまるっきり考え方や勉強の仕方も違った友達も順調に成績を伸ばし、中央大学に特待生で入学していた^^
人それぞれ、好みのやり方は違ってもいいよね♪



もちろん苦労もあった、、、

自分にはやりすぎる癖があった。それは運動でもギターでも体を壊したことで知っていたはず、、、
しかし、自分はその二回では学びきれなかったようだ。

勉強をしまくっていた私は、右手が腱鞘炎になった。
親指と人差し指で鉛筆を握るのが難しくなった私は親指と中指に挟んだりして字を書いていた。
それも無理になった自分はグーで持って書き始めた。
すると、今度は手首が炎症を起こした。
手首をかばうと肘まで痛むようになった。

ついには、書いている途中で鉛筆は転がり落ちるようになり、もはや字を書けなくなってしまったのだ!

たしかこれは12月頃の事だったと思う。

成績も急上昇し、良い感じだったのに、、、
字がかけなければ試験は受けられない、、、

またやってしまった!!

物凄い辛かった、、、。なんで自分は学ばないんだ!やり過ぎたら体に良くないことは知っていたはずだ!
顔回に関する記述が思い出される、、、『過ち再びせず』、、、

仕方なく、字を書かずにただノートや参考書を見るだけで勉強してみた。
式を書かないとまるっきり数学など解くことができない、、しかも猛烈に眠気も襲うようになってきた、、、

またか、、、俺は何でいつもこうなんだ、、、

ショックでこの日は早くに帰宅した。

親は自分の手にシップを貼り、その手を握って優しく言ってくれた。

「成績なんてどうでもいいから、体を壊さないでね」

自分は物凄い幸せ者だ。
勉強をせずに進学すれすれの時も自由にさせてくれた。勉強を始めても、「勉強のやり過ぎには気をつけてね、あなたには幸せになってほしいから」と思ってくれた。

毎日毎日、自分の手のシップを張り替え、さすってくれる親からは大いなる愛情をシミジミと感じさせてもらった。



光がもたらされた!

そうは言っても、勉強がこのまま出来ないままでは面白く無い、、
自分は悩んだ、、。
そして自分を責めた。

顔回は『過ち再びせず』、自分はなんてザマだ!

そして、無意識に神に祈った。(普段は神なんて信じもしなかったけど)

自分は、「人はやる気になればやれるんだ!」という事を見せたいんです。こんなカタチで終わらせたくないんです!

私はこの時、シャワーを浴びて髪を洗っていた。

今でもハッキリと覚えている!この時に起こった素晴らしい体験を!

私の願いを神様が聞いてくださったのか?急に目の前の霧が晴れたような感じになってきた。
そして、頭のなかにこのような想いが沸き上がってきた。
そう、自分で考えたというのではなく、まさに他の所から沸き上がってきた様な感じで!

字が書けなくなって最悪?お前は眼が見えるだろう?口で喋ることも出来る。それだけでもどれだけ幸せなことか!
それに、お前にある手は一本だけではない。もしその手が使えなくなったとしても、お前には足もあるのだ!

この体験に自分は震えるほど感動した。心からありがたく思った。
そして、物凄い力と勇気が沸き上がってきたのだ。

あっはっは!手が壊れるほど勉強をしながら、遂には左手で書けるようにもなって成績急上昇!うんうん、その方が伝えるには面白いな!

自分を被害者のように感じてしまっていた私は、自分が幸せ者であることに気づくことが出来たのだ。

当時は本当に苦しかったが、この経験は今考えると本当に体験できて良かった^^
おかげで今は両利きだしね♪



何で早稲田とか受けないんだ?!

急激に上昇した自分の成績を見てチューターは驚いた。そして、面白いことを言うようになった。

「室田くん、何で早稲田とか受けないの?滑り止めでもいいから受けたらいいのに。」

この時の経験は後に生かされた。
『やってみせさえすれば、わかってもらえる。”絶対にそんなことは無理だ!”と力説している人でさえも!』
自分が今やっているビヨンド自然塾もそんなことを伝えるためだけにやっている。

恐らくこの時点で、自分はその塾で成績は一番だったんじゃないかな^^
偏差値は75くらいに上昇していた



好きでやるのと、無理やりやるのでは大違い!

  • 真面目にやってます!
  • 大変だけど、頑張っています!

こういう姿勢は人々から支持されやすい。
そんな横で笑いながらやっていると、「不真面目だ」とやや白い目で見られがちかもしれない。

確かにただヘラヘラやっているだけであれば、そう思われるだろう。

でも、

  • 思わず笑顔になってしまう!
  • 思わず顔が輝いてしまう!
  • 「お~!わかったぞ!こんな問題はもう試験に出ても楽勝だな。ワッハッハ~」

そんな感じで楽しみながら勉強するのも、額に汗しているのは真面目にやっている人と変わらない。

それどころか、実はもっとずっとずっと、ず~っと多くの力を勉強に注いでいたりするのだ。
(もちろん、これは勉強に限ることではなく、全てに当てはまる。)

野球少年が「夕ごはんよ~」の声も耳に入らずにバットを振りまくる、、、
手には血豆ができ、何度も潰れ、バットが血だらけになっていたりする、、

それでも喜んでバットを振り続けるんだ。

彼の心の中には、バットを振ることの肉体的辛さではなく、素振りにより自分の能力が向上し、試合で活躍する光景が浮かんでいるのだ。

『ワクワクが止まらない!』そんな感じだ。

子供ではわりとよくある光景だが、大人になるとこのような行動を取る人はかなり少なくなる。

「お金をあげるから今日一日、バットを振ってよ。」と言われたらどうだろう?

あ~あ、朝からもう二時間もバットを振っているよ。
こんだけやって時給に換算したら1500円?ありえないだろ、、、
しかも、なんか血豆ができちゃったぜ、、、労災だろ、コレ!

こんな感じになってしまったりするのではないかな。
それでも真面目になんとか夕方まで振り続けたとする。その『仕事』から開放されたら家ではヤレヤレと、テレビでも見始めるかもしれない。

でも、笑いながらバットを振る野球少年だったらどうかな?
ご飯を口に詰め込んで、まだ飲み込み終わるうちから外に走りに行ってしまうかもしれない、、、

『勉強』を『ウルトラクイズ』とみなし、それに恋しているような自分は、まさにそんな感じだった

ごはんを食べる時も、シャワーの種火をつけるためにつまみを押し続けたりしている(こんな旧式、今では珍しいね)間さえも勉強し続けていた。

自分の成績曲線が加速度的に上昇し、それを友達やチューターに見せ、「ほら!楽しくやったほうがずっといいんだよ!」と言うことだけを思い描いていた。
すごくワクワクして、思わず勉強してしまったのだ。

自分が短期間に成績が上がったのは、別に自分がとりわけ頭が良かったからとかではない。
単に、面白いと思うことをやったからだった。

だれでも、熱中できることをやるのであれば、物凄い力を発揮するだろう。
だから、好きでもないことを『頑張って』やるよりは、好きな事を『ワクワクして思わず』やってしまうような方がいいだろう。

自分は幸運にも今のところ、ワクワクすることのみをして生活させてもらっている。
まさに『生かされている』といった感じだ。

時速200キロ以上で突っ走り、高速道路から崖に落ちても死ななかったり、、、

しかし経済的な問題などから、好きな事をしたくても、その行動を制限されていると感じる人は多いだろう。
自分もその制限を少し感じてしまっている。

でも、だからこそ!そのような世の中を変えていきたいなと思っている。
自分には『”対価も求めず、ただ単に人々を喜ばせたい!”と思う人で溢れる世の中にしたい!』という想いがあり、それを伝えるためにこんな活動もしている。

『交通費だけ頂ければなんでも手伝いますので、もし良かったら私を使ってください!』

やりたい事を、誰もが顔を輝かせながらすることができる、、、そんなのが当たり前の世の中になりますように、、、、

長文、お読みいただいた皆様、お付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m