内観ワークショップ参加者の体験談 カズキ S.さん

カズキは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王こと兄を除かなければならぬと決意した。カズキは内観がわからぬ。
けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった…………

というつもりで生きてきたにも関わらず実は今まで憎み続けてきた兄が実はセリヌンティウスだったり、メロスだと思っていた自分が実は邪智暴虐の王だったりと「心の中がゴロンゴロンと変わっていく」ようなワークショップでした。

目次

ワークショップ参加の経緯

25歳の兄がいるが働きもせず毎日テレビばかり見ていたりしていて自分と仲が悪い。兄も自分の顔を見ると嫌そうな顔をする。
そんな兄との関係を修復するということ、そしていつも親や周りに流され自分の幸せを追い求められない自分を変えたいという目的で内観ワークショップに参加

1日目

室田さんに「兄と7年以上話をしておらず空気が悪い」「いつも親や周りに流され自分の幸せを追い求められない」「電車の中のマナーの悪い人や努力をしない人にいつもイライラしている」、といった話をしたところ、誰も悪くないのに勝手に他人にイライラしダメージを負っている「自爆キャラ」と命名される。

そこから自分では思いもつかないような見解をたくさん教えられ、世界の見方があまりにも狭くなっていたんだな~という気持ちにはなったがまだ心の底からは納得出来ていなかった。しかし「人生というのがなにか面白い仕組みになっているぞ‼️」
というのは理解できた。

そして俯瞰した神の目線から考えるという話をされ、自分の中の内観が始まっていく

「どうして自分は幸せを求めるように設計されているのか??
どうして世界には幸せに感じるものと不幸に感じる物があるのか??
なにもない所から生まれてきて最後には死んだらなにも残らないのか?
それならどう生きても変わらないのか?
意味がないのならなぜこの命があるんだ?
なんでこんな傷つきやすい弱い体の中にいるんだ?
なんでこの人たちに出会ってこんなにも心が動くんだ?
なんで一人一人別の物の感じかたをするんだ?

自分が神なら絶対最後は幸せなエンディングにするはずだ、、、それなのに自分はこんなにも不幸だ、、、
そして自分が神ならただ不幸を我慢をしていれば幸せになるような世界は作らない、、
この世界はなんで作られたんだ??」

↑都会の”常識的”な世界にいたら確実に出てこない思考をしていたが邪魔するものがいないためのめりこんでいく

2日目

山登りをしながら内観。
気づいたら3日間のうちの3分の1が過ぎていたことに焦り本気で内観をすることにした。

途中自分の前をいく女の子の荷物が重そうなので代わりに持ってあげようかなと思ったがどう声をかけるのが正解かわからずしばらく悶々としていた。
「兄のことを口下手だと思っていたが自分もそうとう口下手なのではないか??」と思うと笑えてきた。兄と自分は正反対だと思っていたがそんなことはなく似ている所がいっぱいあることに気づきどんどん兄に対しての悪いイメージは減っていった。
「自分はいつも周りに流され他人の期待に答えることに必死で自分の幸せなんかわからなくなっている……それに比べ兄は父親とケンカしたり母親から文句を言われ辛いはずなのにも関わらず期待に答えようなんてしない。兄にはそうまでしても通したいポリシーがあるのかもしれないし兄は自分にないものを持っているのかもな…………」

見方が変わっていくのが面白く思わず歩きながら独り言ごとを言ったり爆笑したりしていた。

家に帰って兄に話かけると兄が無言で嬉しそうにしているイメージが湧いてきた。
「他の人は口下手で感情表現が下手な兄の気持ちなんかわからないだろうけれど自分には兄が喜んでいるのがわかる。
我ながらよく理解している、というかむしろ兄も自分のことを誰よりも理解しているのかも……
なんで一番の理解者である兄のことをこんなに憎んでいるんだ…………」
という気持ちになった。
1次元でしか見れていなかったものが3次元で見えるような爽快な気持ちになり嬉しくなる。

午後からは瞑想指南が始まるも上手くいかず残された時間もあまりないので少し焦りだす
夜は体は疲労困憊していたがアドレナリンで覚醒しており、寝ようとすると体が勝手に動く。自分の額にひざがぶつかっておきたり全身満身創痍の中就寝。

3日目

朝から散歩をしているとアブが大量に自分の目の前に立ち塞がるというアクシデント。しかし、あまりにもしつこいので何かのメッセージなのではと思い考えてみると「アブが攻撃してきているように見えるがアブは怖がっているだけ。敵意がないことを見せればアブは攻撃してこない、アブに攻撃させるかどうか決めさせているのは自分なんだ!
兄も電車の中の人もこのアブと一緒だ!全て自分次第だ」と嬉しくなる。(こんな考えも都会の”常識的な”忙しい世界では絶対に出てこなかったはずだ)

瞑想指南を受け瞑想をしていくうちに、今の自分の価値観は『世界中の全てが手に入って世界中の全ての人が自分の言うことを聞けば幸せになれる』というものなのだと気づいた。
この時、空の方から蜘蛛の糸が垂れ下がってきており「今の自分は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のカンダタのように狭い心で、とうてい無理な幸せを必死で手に入れようとしているのかな??」などと思ったが自分の中の修羅の心がどんどん膨れ上がり押さえられない。
一旦帰宅し室田さんと話をした所、「人が喜ぶことをして嬉しかった経験がないと『人に喜んでもらう幸せ』に気づくのは難しいかもね~」と言われる。確かにもう何年も人を助けた記憶がないから室田さんのいう「助けあう幸せ」がわからない。
また室田さんの書いた『幸せの国と善悪の国』(https://beyond-farm.com/13992)の内容についても少し触れたがやはり「やられたらやり返さないと損なのにそれを我慢して幸せを作るなんて変だ」という気持ちだった。
競争主義的な気持ちに支配される。ついこの前までバイトの上司に「大して努力もしてきてないからいい年してそんなしょうもない人間なんだよ、下らない自慢話してないでさっさと働けよ、バカ」などと思っていたことを思い出す。
しかもよくわからないストイックスイッチが働き「東京に帰れば室田さんは助けてくれない、、、ならば今から1人で頑張れる所はやらねば!」という思考で一人で瞑想をする。瞑想していくうちに「世界で1番不幸なのは自分なんだ、なんて可哀想な自分」という気持ちになり泣く。
そしてまたよくわからないストイックスイッチが入り日差しの照りつける中上裸で瞑想をし、背中の日焼けだけが手に入った。
もう最終日なのになにをしているんだ…………と焦り「瞑想でいいイメージが浮かぶまでこの小屋から出ない」という罰を決め山小屋で一人瞑想をする。60点くらいのイメージが浮かんだので帰宅したが夕飯に餅を煮ようとするとコンロが切れて火がつかない。
「瞑想で100点取らずに帰ってきたせいで火がつかないのだ!やっぱり、100点をとるまで飯は食べない!」と決め押し入れで瞑想→気づいたら深夜まで爆睡→ボランティアのpepeさんにたまたま発見される。
完全に悪循環にハマっていた。

しかし夜中の12時に押し入れから出てきた自分にpepeさんたちがお風呂を沸かしてくれたり布団を敷いてくれたりドライヤーを用意しておいてくれたりしたので冷静になり、悪循環から抜け出すことが出来た。
今まで自分は勉強や音楽、そして今は内観や瞑想といった『技術』を磨くことに必死で周りの人が助けてくれていることなんか全く気がつかなかった…………
技術なんかより周りの人に助けてもらえる人間になる方がよいのではないだろうか??瞑想なんか出来なくても『コンロの予備ある?』と一言言えばよかっただけではないか……
技術を磨くことばかりに必死になり周りへの配慮が出来なくなっている自分に兄や周りの人は怒っているのではないだろうか??幸せになるために技術を得たかったのに技術を得るために不幸になっている……」
ということに気付き一旦瞑想をやめようと決意。これからは周りの人や助けてくれている人、家を作ってくれた人たちに感謝しようと思い寝る。

4日目

早起きしたため散歩をしていたらお腹が痛くなりトイレに行きたくなる。
どうしようかと思っているとアブが飛んでいたのでついていくと工場があった。
頼んでトイレを貸してもらったがトイレの仕組みがよくわからずトイレットペーパーを床にばらまく。
しかしここの床は汚そうなので片付けずにお礼だけいって逃げてきてしまった。
「自分はなんて弱い人間なんだろう、人がせっかく親切をしてくれたのにそれを仇で返すなんて。ずっと自分は強い人間だと思っていたけれど全くそんなことはないな……
強い人というのはみんなが幸せになるためにみんながやりたくないことを出来る人のことなんじゃないだろうか??」と思った。
初めて本気で「強い」とはどういうことなんだろう??と考えるようになった。
そして今まで自分は兄より強い人間だと思っていたけれど、実は自分なんか遠く及ばないほど兄は強い人間なのではないかという考えも浮かんだ。

そのようなことを考えつつ歩いていると完全に道に迷い、喉の渇きと無理が祟り歩けなくなった。
「あぁ、辛い。今出来ることと言えば瞑想しかないな……結局自分は瞑想しないといけないの運命なのかもな……」と考え車道の脇に座り瞑想をする。
しかし、疲労で頭がいっぱいで何も思い浮かばない
仕方なく再び歩き始めると実はボランティアセンターのすぐ近くにいたことがわかり帰宅。

畑の開墾についていき、頭を空にする。

その後ボランティア体験にきた芝さんがたくさんいなり寿司をくれ精神を回復。まるで清水で復活したメロスのようだった。

「やっぱり自分の頑張り方はずれているな」と感じ、一旦瞑想も内観も全部忘れることにする。
午後から太郎という子供が来た。
いつもニコニコ楽しそうなので一緒に遊ぶ。げんとわたるという双子もきて遊んでいるうちに愛情が湧いてきた。
完全に内観のことも瞑想のことも忘れ子供にのめりこむ。
気づいたら疲れて寝ていた

5日目

朝起きると自分以外はみんなは寝ていた。
ぼーっとしているとげんが起きてきて笑顔で自分の布団に入ってきて一緒に寝始めた。目があうと「えへへ~」と笑いながらもたれかかってくる。
急に幸せが降ってきてどうしたらいいかわからなかった。心の底から子供は可愛いなと思った。世界中で一番幸せなのは自分のような気さえもしていた
太郎とわたるも起きてきて絵本を読んでほしいということで読んでいると、3人が自分のひざの上に乗っかったりもたれかかったりしてきた。
自分を完全に信頼して体を預けてくる子供が3人もいるということに唐突に深い幸せを感じ涙が止まらなくなり、絵本が読めなくなった。
3日目にわからなかった「人のために何かをする幸せ」が急に分かり3人がいてくれることが本当に嬉しかった。
『世界中の全てが手に入って世界中の全ての人が自分の言うことを聞けば幸せになれる』なんて全く思わない。

幸せがなんなのか実体験で理解できたのだ‼️

げんとわたるのお母さんが「お味噌汁がちょうど一杯分余っちゃったからよかったら食べてくれない?」と言ってくれたので(自分が気を使わなくていいようにこういう言い方をわざわざしてくれたのだ。本当に感謝しかない)一緒にご飯を食べる。
わたるが「お兄ちゃんと一緒がいいから」といって普段使わないお箸を使ってご飯を食べることや自分と同じように上着を腰に巻きたがることの一つ一つが本当に幸せだなと思った。
太郎が畑に行く時に自分の手を引っ張って連れていこうとすることも突然グズりだして抱っこをせがむことも嬉しかった。

今の自分なら大丈夫かなと思い、瞑想しに一人ベンチに行くとあまりにも幸せすぎて涙が止まらなくなり、何かに祈りたくてたまらなくなった。
そのまま瞑想していると、家族みんなが笑顔で食卓を囲んでいるイメージがありありと浮かんできた
両親はすでに離婚することが決まっているし、父と兄は就職のことでケンカばかりしている、おまけに兄と自分は7年口を聞いていない。
そんな状況でも「太郎たちが教えてくれた幸せな空気を自分が家にもって帰ろう‼️自分なら変えられる‼️」という強い気持ちが湧いてきた。
瞑想がこりかたまった思考をほぐしてくれるストレッチのようなものなんだと少しわかって嬉しくなるとともに早く家に帰りたいなと感じた。

ボランティアセンターに戻ると太郎がカエルの真似をして自分の周りを飛びはねていてやっぱり幸せだったが、自分には自分の家があるので帰ろうと思い帰宅を決意。

子育ての大変さと醍醐味、幸せを教えてくれた人たちに感謝の気持ちが止まらなかった。

帰り道を歩いているとカバンが開かなくなりスマホが取り出せなくなったため、めんどくさくなりヒッチハイクをすることにした。
手を上げると老夫婦が運転する車に引きこもりのような中年男性が乗っている車が止まった。しかも車ではジブリのCDが流れる異様さ。しかも中年男性は明らかに自分を嫌がっていた。
ワークショップ前なら適当な言い訳で逃げていたが今回は笑いが出てきた。
「この人は自分の敵ではない、ただ怖がっているだけだ。むしろ敵意を見せなければ仲良くなれるのを証明する絶好の機会だ」とさえ思えた。話をしているうちに老夫婦が昔自分の家の近くに住んでいたと分かり会話は弾んだ。
中年男性とは結局話ができなかったのが残念(もっと時間があれば得意なポニョの物真似(図1参照)もして仲良くなれたかもしれない)

その後も電車内で騒いでる酔っぱらいをみても「危うく兄貴と話し合う前にお酒を飲むとこだった、お酒を飲んでる人とは真面目に話したくないもんな、危ない危ない」と思ったりして全くイライラしなかった。
むしろ車両にいる人たちがみんな「幸せ行き」電車に乗っている仲間にさえ感じられた

家について兄には今まで自分が全く兄の価値観を考えてこなかったことやこれからは幸せの家にしたい旨を伝えた。
兄はなにも言わずに照れくさそうに笑ったあとうつむいていた。

母の日だったので人生で初めて母にケーキを買って帰り一緒に食べる(ワークショップ初日に「母親が母の日が近くなるとこれみよがしに母の日のチラシをリビングに置いてきてイライラする」という話をしていた自分とは大違いだ笑)

次の日は疲労で1日中食べて寝ていたがもう、兄からの嫌な空気を出されることも自分が兄の行動にイライラすることもなくとてもリラックスして家にいることが出来た。ワークショップの疲れからか1日中寝る

エピローグ

家族全員で笑うために家に帰ってきたけれど家族全員で一緒に笑うにはまだ越えなくてはならない心の枠があるようだ(自分がいない間に母と兄が険悪になっており新しい問題が増えていた笑)
しかし、これからは学歴やお金でなんとかしようとするのではなく(というか出来ない)、内観をして自分を変えていくことで自分の周りや世界を幸せにしていく日常を楽しんでいきたい。

正直、山梨まで行って本当に意味があるのかとかお金が無駄にならないかとか(すぐにバイト先で上司とケンカをし居心地が悪くなり、バイトを長く続けられたことがなかったのでお金を使うのが怖かった)行く前は散々迷ったが、実際に行って世間の常識から完全に離れ、自分の内面と向き合ってみると、なんで今までやらなかったんだろうとさえ思う
自分の周りの「不幸から逃げるために頑張っているにも関わらず不幸が消えない人たち」にぜひ内観を薦めてあげたい

室田さんについて

最後に自然塾の塾長?の室田さんについて書きたい。

今までの人生で色々な変わった人に会ってきたけれど、室田さんほど変わった人には会ったことがないように感じる。
『規格外』という感じがするのだ。

自分は「愛と尊敬は同時にはもらえない」というニーチェの言葉を信じているのだけれど室田さんはそのどちらをももらっている人という感じがする
もう少し分かりやすく書くと室田さんの顔を見ているとイエス・キリストのような大聖者と話をしているような気分がし、身が引き締まるような気持ちになるときがあるのだけれど、その一方で「どうしようもない大うつけ」と話をしている気分にもなる。
ただ言えるのはその時その時で自分に必要な顔を見せてくれているような気がする。

不思議な人だよなぁ、室田さん

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次