苦しみ(修行)というありがたい経験

古来から、悟りを開きたいと思う人は修行を行うことが多かったように思います。

学びを得るがためにわざわざ苦しむようなことを経験したりしたのです。

学びを得るのは最終的に幸せになることが目的だったりしたのに、その為には逆に苦しみを経験したりしたのです。

逆説的で面白いですね。

実は自分も高校生の時に修行をしたことがあります。

別に滝に打たれに行ったり山籠もりに行ったのではなく、自分の場合は体力トレーニングを通した精神修行でした。

今回はそんな『修行』についてお話をしたいと思います。

目次

伝えたいこと

  • 修行はあなたの人生を変え得る!
  • 修行はいつでもどこでもできる

修行のメリット

能力を発揮できるように

何かをやるとして、まず最初にそれが出来ると信じられないとモチベーション上がらないと思います。すぐにめげやすくなってしまいます。しかし修行すると精神力がアップするので、めげにくくなるのです。
そしてめげずにに進むことができるようになるので、次第に能力も向上していくのです。

難しい選択肢も選べるようになる

辛いことを乗り越えた経験があると、次もやれる!という気が沸き起こってきます。修行前であればそんなの無理だと諦めたであろう選択肢も取れるようになるのです。

苦しいようで実は最終的に幸せに近づく

精神修行は心への負荷が必要となります。もちろん苦しみを伴います。しかしながら、最終的には幸せに近づかせてくれるのです! 筋肉に負荷をかけることでより強くなる筋トレと同じように、心もどんどん強くなれるのです。以前であれば苦しくて逃げたくなるような物事に対しても、人々がめげるようなことに対しても笑ってワクワクしながら対応できるようなったりするのです。そう、気づくと苦しみは減り、幸せが増えているのです。

修行のススメ、意義

楽をすることで失うこと

多くの人は楽をしようとします。損をしないように計算して動いたりします。その方が苦しみから離れられると思っているからです。

しかしながら、実はそうならないケースが物凄く多いです。むしろ、苦しみが増えることが多いと思います。

体調が悪い時、痛み止めを飲めば一時は楽になるかもしれません。しかしながら、痛みがなくなると、体調が悪くなった原因について深く考えたり反省することをしなくなるため、むしろ体調は悪化するかもしれません。

誰かが何かをしなければいけない時、自分がやらなくても他の人がやってくれたらいいなと思うかもしれません。
そんな時、率先して自分からやる人と、なんとなくその場から離れたりして他の人にやってもらう人などがいます。
確かに他の人がやってくれれば、その場では自分は労力を使わずに済むかもしれませんが、長い目で見ると楽にはならなかったりするのです。残念なことに、このことに気づかずにずっと同じようなことを繰り返す人も多いですが、、

実は、自ら率先してやるような人は、その人が困ったときなど、周りが率先して助けてくれたりします。そしてそこで助けてもらったことに感謝の気持ちが沸き起こるので、次に周りが困っているときもまた率先して助けたりするようなサイクルになります。
そう、結局は自分自身が楽になることだったりするのです。

”他の人にやらせたら自分は得する”と考えた人に対しては、、、周りはどのように動くでしょうね?

苦労は買ってでもしろ

「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。これは、実は昔の人の経験則でしょう。
自分も苦労を自ら選択するのは意義があるとはっきりと感じています。

苦労したことがあると、その苦労に耐性ができるのです。そして有難いことに、その後に辛いことが起こったとしても、その耐性により楽に受け止められるようになるのです。

意義を知ると自らやりたくなる

そんな訳で修行や苦労は割と効果的なのです。

でも、辛い事なんてなかなか自分から進んでやりたいとは思わないかもしれませんね。

しかし、思わず自分から進んでやりたくなるような事も結構多いんですよ。

例えば部活をやっていたとして、普段の練習で体力トレーニングをやれと顧問に言われたとしても、「え~、だりぃな、、、。やりたくねぇよ。」みたいに思うかもしれません。

しかし、その後に他チームとの試合に出て、コテンパンにやられたとします。
相手チームのフィジカルがものすごく強く、自分たちはすぐにバテたとします。

負けたことが物凄く悔しかった場合、しかも負けた理由が自分たちのフィジカルが弱かったことだと自ら痛いほどわかったとしたら、、

気づいたら朝、ランニングをしたり、夜に筋トレを始めたりするんですよね。

修行の意義に気付いたということでしょう。

修行が目的となってはダメ

そんな感じで、修行は結構、有難い効果をもたらしてくれるのですが、修行自体が目的になってしまうと意義は失われますね。
これ、実はすごく陥りがちです。ただ辛い方に行けばいいというのではないのです。

意義がある選択であれば楽か辛いかは関係なくどちらでも選ぶことができるというのが良い状態です。

代表ヤスから

自分の経験からすると、修行をやって本当に良かったです!他のものがすごく楽になったし自信も持てるようになりましたね。

きっかけは高校時代、部活に入り、己の体力不足を痛感したからです。
練習のランニングに自分は全くついていけませんでした。

”自分はこんなにも弱かったのか!!”

中学に帰宅部で特に運動もしていなかった私は、”自分は皆に比べて修行が足りない!!”と痛烈に感じたのです。

でもそこで面白いのは、自分の場合、体力向上ではなく、精神力の向上が目的になりました。体の大きさや手足の長短などもありますし、体力で競争するのは限界があるので、自分は精神力だけは誰にも負けないようになろうと思ったのでした。

朝から山を越え、海に走りに行き、学校では休み時間も走りに行ったり、授業中にも筋トレをしたりしていました。部活の後家に帰ってダッシュ50本、、、

やりすぎたため、ドクターストップになり、階段を上るのも満足にできなくなり、体育も見学に、、、、

故障してジャンプすることさえできなくなり、体力的には女子よりも劣るような状態になったのです、、、

無茶苦茶ガンバって体力トレーニングをした結果がこんな感じだった場合、あなただったらどう感じますか?

私はこう感じたのです。

”ふふふ、誰もここまで自分を追い込むことはできまい。俺は倒れようが何だろうが、辛い選択を笑ってできるんだ!”

この時の修行は自分にとって本当に良い経験でしたね。

その後の大学入試勉強なんかはまさに『への河童』だと思えました。修行に比べたらずっとずっと楽ですからね^^

図々しいことに、化学5点とかそんな感じで偏差値31しかなかったのに、「やれば簡単にできるようになるに決まっているだろ?そんなの楽勝だよ♪」と本気で信じれたんですよね。

そう思えたのはまさに修行のたまものでしょう。

そして実際に自分は半年で偏差値31→75にジャンプアップしたのでした。

自分が今、ビヨンド自然塾で活動しているのもそのような精神的な成長について伝える為だったりします。

修行の仕方

修行なんて言うのは、方法は決まっていません。
自分を精神的に強くするために負荷をかけることができれば、なんでも良いでしょう。

体力トレーニングでも、職場での人間関係の改善なんかでも、なんでも良いですね。

「毎回、自分が納得できる選択を自らとれるか?」

これを心に持ちながら生活するだけで素晴らしい修行になります。

自らが自らを律するのです。

これが難しいと感じる人は多いようですけどね^^

もし本気で修行したくても、どうやって良いかわからない、、とお困りの方は相談に乗ることもできます(有償)ので、必要があれば声をかけてください。

以上、『修行』についてのお話しでした。

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