支温も真悟もどちらもクラスメートという構成を持つS家におじゃましてきました。
S家のお隣さん(にしては遠い)のG家も参加してくれましたが、G家も保育園の保護者仲間^^
どの子供達もずっとこの日を心待ちにしていたようで、「ね~、あと何日寝れば行けるの?」。などと話していたそうです。
年齢の異なる子供達が共に遊ぶことで、普段とは違う遊びができたりします。
小さい子には刺激になるし、大きな子は面倒を見る体験ができていいですね~
しかも、家で遊ぶ場合には親も共に遊びに加わることもできるので、新たな刺激が加わります。
保育園の保護者仲間とはいえ、普段深く話す機会などは設定しない限りないので、今回のようにたまに皆で遊ぶなんて言うのは非常に良いと思っています。
という話題が出たので、少し自分の思うところを話させていただきました。
ただ単に、相手の気持ちになってあげれば、自然とわかってくる。
子供は意味不明な事を言うかもしれない。でも、実はそんな事は思ってもいないことも多い。思わず言っちゃうんだ。不満とか、苛つきとか、そんな些細な事がきっかけでね。
子供の心に目を向けることができれば、「ママなんか嫌いだ!」が実は「ママ!僕にかまってよ!大好きなんだ!」だったことがわかる。
自分なんか医者からしたら精神障害者になると思うけど、実際にそう聞こえるんだよ。
耳で聞こえるのではなく、魂に直接届くような感じだけどね。
このような内容は心の寺子屋でも扱いますが、今回はもっとサラリと触りの部分だけを。
深く話すとかなり時間がかかるのでね(^_^;)
大人も子供も同じ、自分の感情に素直に従っていければ、自然に顔は輝きます。
大人は考えすぎ、慎重になったり、効率を考えたりするうちに、自然ともとの目的からズレたことを始め、いつしかそこに集中します。
そのズレに気づくことが出来ると、物凄く晴れやかな気持ちになるんですよね~
この事をそこにあった割り箸の包み紙で説明させていただきましたが、伝わったかな~
あんなのは本当の触りの部分で、そこから深めていくと、、、、
目の前の世界がまったく違うものになっちゃうんですよ^^
『自分もそういやそうだった』
こうしなさい!
何を言っても聞いてくれない、、、
でも待てよ?
自分もそういやそうだった!
認めてもらえないのが嫌だった
勉強ができるか出来ないか、、、
そんな事より何よりも
『自分』を認めてもらいたかっただけなんだ