文化の違い
インドでは日本よりも『所有』に対する線引が緩い感じを受けた。日本では、知らない人のモノを勝手に触るのはタブーとされているが、インドではそうでも無かったのだ。
慣れない日本人からしたら、面食らう場面は多い^^
交差点、相手の自転車を手で抑えながら
今は知らないが、当時、インドでは信号がないのが普通だった。交差点には車やバイク、自転車、牛を引いて歩く人などが雪崩れ込み、混雑をかき分けて自分の道を進んでいく、、
日本の満員電車の中で、駅に降りようともがきながら進むのに似ている。相手のバイクや自転車のタイヤやボディなどを文字通りかき分けながら進んでいくのだ。日本であれば相手のバイクなどに触れないように頑張って進むと思うが、そんなことは言ってられないような状況だった^^
クラクションは鳴りっぱなしで、落ち着かない雰囲気だったな~
現地の人達は既に慣れているのだろうか?
人のスーツケースに座る
電車では一般人が乗る車両に乗った。確か階級があり、裕福な方や外国人などは一般人とは違う車両に乗ることが多かったと記憶している。
しかし、、「やはり乗るなら一般車両だろう?!」との思いは強かった。安かったというのも当然理由の一つだったが、それが経験としては一番面白いだろうと思ったからだ。
そして思った通り、それはなかなか衝撃的なものであった^^
日本の満員電車のようにギュウギュウになった。そして、隣に立っているインド人からこんな提案を受けた。
「おい、あそこ座れるから座りなよ。」
そう指さされたのはすぐ近くに置いてあったスーツケースであった。そのスーツケースの隣には白人男性が立っており、明らかに彼の所有物であった。
提案してくれたインド人は自分を連れ、結局私と二人でそのスーツケースに座ってしまったのだ!真後ろには持ち主の白人男性が立っているのに!
一緒に座ってしまった私も私だが、なぜ座ろうと誘ったのが私だったのだろうか?!私が座るよりは白人男性が座ったほうが順番的に自然な気がするのだが、、、
また、インドでは電車の座席の上部にある「荷物をのせる網の所にまで人が座る」と聞いてはいたが、本当にそのような光景を見れたのもちょっと面白かった。
寝台バス他人が座る
インドの所有の線引の緩さはいたるところで見られる。そのもう一つの例として、寝台バスを紹介しよう。
インドの長距離移動に寝台バスを予約した。これはなかなか良い。バスの中に沢山のベッドが置いてあり、気楽に寝ながら移動できる、、、、はずだった。
(出典;Around the World in 80 Clicks)
ベッドには番号が振ってあり、それぞれが自分の予約したベッドを使用する、、、はず。
しかし、やはりこの所有の線引は緩かった。
話をしたかったインド人乗客同士のベッドが少し離れており、自分のベッドのほうが近かったからか?気づくと数人のインド人が私のベッドに座って話している(^_^;)
「ここ、ちょっと座ってもいいですか?」なんて聞くことはない。さも当たり前のように座っているのだ。この辺が日本の常識とかなり違うところだろう。
昼間だからまだ寝ないだろうとの認識だったとも思う(夜は皆、それぞれのベッドに戻っていった)。実際はせっかくの寝台バスなので、ちょっと横になりながら行きたいな~なんて思いもあったのだが、これは経験として面白かったので◯♪
ペットボトルの水を飲まれた?!
『インドでは「ものを一旦公共の場に置いたら、それはもう公共物」とみなされるのでご注意ください』みたいな記述を「地球の歩き方」というガイドブックで読んでいた。
新聞などをパサッと地面に置くと、すかさず隣の知らない人などが拾って読んだりするらしいのだ。ただ置いただけでも、、、
「ん?本当かな~」
なんて半信半疑でいたのだが、もっと凄いのを自身で経験することになった、、
長距離バスに乗っている時、ペットボトル入りの水を自分のドリンクホルダーにおいておいた。そして寝ていた。
ふと目が覚めると、なんと横の人が私のペットボトルの水を飲んでいるではないか!!
「こ、、、これが公共物的な考え方か?!」
とも思ったが、恐らく、恐らくはただ自分が寝ているからバレないかなくらいのノリで飲んでしまったのではないかな~と思い返し、隣のインド人にプレッシャーを与えたくなかったので気づかないことにして寝続けた。
コレに関しては、本人に問いただしていないので真相はわからないままであるが、隣の人の水を飲んでしまうなんていうのは、日本人からしたらかなりビックリするだろう、、、
所有の線引の緩さも良いもんだ!
さて、ここまでインド人の所有の線引と日本人の所有の線引はかなり異なることを紹介させていただいたが、その差を感じてもらえただろうか?
はっきり言うと、気になる人からしたら、インドに行ったらかなり嫌な思いをすることも多いと思う。
しかし、「それもまた一興♪」くらいに思える方からしたら、かなり面白い体験をできるだろう。
実際、満員電車で私がインド人と座らせて頂いたスーツケースの所有者である白人男性は、嫌な顔ひとつせず、その経験を興味深く捉えてくれていた感じがした(勘違いかも知れないが)。
まぁ、そんな「それもまた一興♪」タイプの人でなければ、わざわざインドで庶民が乗る車両を選んで乗ったりはしないだろう。
という訳で、線引の緩さについては人それぞれ感じ方は大きく異なると思うが、線引の強さに大きな差があり得るということを知ることは素晴らしい体験だと思っている。
と言うのは、線引には安心感を与える効果もあるが、弊害も多いからだ。
「ここからここまでは俺のだ!」というような線引が薄くなれば、囲い込みではなく、自然と皆で有効に活用するようになるだろう。
所有の緩さを紹介する活動開始!
自分は今、山梨県で空き家の有効活用を促進するNPOを立ち上げたばかりだが、この活動を始めたのにもインドでの経験が影響している。
田舎暮らしをしたい人がいて、田舎には空き家がいっぱいある、、、
こんな単純な動機である。線引が緩い場合には当たり前の考え方なのだが、経済優先的であったり、線引がハッキリしている場合には考え方は変わってくる。
空き家の所有者からすると、「他人に貸して、自分になんのメリットが有るの?」となり、移住希望者からすると「悪いから、気軽に貸してなんて言えないな~」などとなる。
すなはち、空き家は空き家のまま、、有効活用はされないままになるのだ。
自分が住んでいる山梨県北杜市は移住希望者から抜群の人気がある。移住希望先として山梨県は全国一位であり、
なんとそのうちの約八割が北杜市を希望しているそうだ。
それなのに、それなのに!
面白いことに山梨県は空き家率全国1位!
この理由が『所有の線引の強さ』だと自分は感じている。
説明が長くなるのでここでは書かないが、この線引が強いのが当たり前の文化に、線引の緩い文化を紹介しながら、「緩いのも悪くないな」と人々に思ってもらえたら良いな~との思いで活動をさせてもらっているのだ。
緩すぎて資金がまるで足りていなかったりするので、協力できる方はよろしくお願いします^^
空き家率全国一の山梨県から空き家の有効活用モデルを発信したい!(クラウドファンディングreadyfor)
vol.3に続く
このSTORYで伝えたいこと
- 文化の違いを肌で感じれば、自分の中の許容幅が大きくなる可能性がある(トラウマになる場合もある?)
- 新しい文化を気に入れば、人に伝えることも出来る!