研修生?のM君と話していて思い出したことがあります。『修行』です。今回はこの『修行』について少しお話しようと思います。
ここ最近、ずっと修行らしきことをしていなかったのですが、つい先日、急にまた修行が少ししたくなりました。と言うことで、修行として開墾作業を行っています。M君にも修行を勧めており、彼も進んでやってくれています。
『修行』って結構面白いんですよね。行為自体はかなりの苦しさを伴ったりするのですが、その後の充実感が物凄く強かったりするのです。
そんな事を伝えたいのもあり、『開拓クラブ』などというのも参加者募集していたりします
自分は高校時代、修行に打ち込んでいました。修行の内容は主に精神鍛錬で、体を使った苦行のようなトレーニングをしていました。アホなことに、三年間ずっと修行しかしていませんでした。トレーニングし過ぎでドクターストップになりながらも、気合でやりつづけ、遂には二足歩行では階段さえ登る事ができなくなったり、背中に電流が走るようになり、夜寝ることさえも辛い状況になってしまいました。
二度と経験したくないような、つらい体験でしたね^^;
参照
『0点なんて最高じゃん!』何でも遊びにすることで、高3の半年で偏差値が31から75まで上がってしまった話 ~顔が輝かないようでは実力は発揮できないよ~
今、自分が高校時代をもう一度過ごすとしたら、まるで違う楽しい高校生活を送るでしょうが、当時、修行に明け暮れていたことを後悔はしていません。その後の自分の人生を振り返ったとき、高校自体の精神修行は本当に大きな意味を持っていたからです。
自分は常に『楽しい』と感じることをしています。子供の時から今の今まで常にそうです。子供のときは誰でもそうすることは簡単だと思いますが、大人になってもそのままでいる人は少ないように思います。
実は、自分にこれを可能にしている大きな要因の一つが『修行』経験だったりするのです^^
大抵の人が「辛い」、「もうやだ!」と認識するようなことが、自分には「こりゃぁ面白いね~」などと感じたりするのです。人々が「なんでこんな事しなきゃなんないんだよ?!」と思うようなことが「う~ん、有難いね~」と思えたりするのです。
これは登山に例えるとこんな感じですね。
体力がない人が山に登るとすると、苦痛が強すぎるために目の前の景色などを楽しむ余裕がなくなるでしょう。しかし基本的な体力があれば、景色の素晴らしさを楽しむことに集中できるため、逆に身体的な苦痛は気づきにくくなります。
修行というのは、この「体力」に相当する「忍耐力」を強靭にしてくれるのです。
自分は『楽しいことしかしない』と言いましたが、この『楽しいこと』の幅が無茶苦茶広がったりするんです♪
これは先日、妻にも言われましたが、自分が楽しいと感じることは、妻から見るとただの苦行みたいなことだったりもするのです^^;
森のような場所を開拓して畑にしたり、機械を使わずに手作業で農作業を行ったり、、、
多少大変なことがあったとしても、「修行に比べたら屁みたいなもんだな」という気持ちが湧いてきます。
さぁ、皆さんはどうでしょう?『修行』は買ってでもしたくなっちゃったりしましたか?もしそんな気持ちが湧いたとしたら、本当にラッキーですね!
会社、人間関係、、、様々な困難にぶつかった時、それらは修行のチャンスになるのですから♪