内観ワークショップの体験談 ~実は繋がっていた~

内観ワークショップに参加してくれたA.N.さんが体験談を書いてくれたので紹介します。

A.N.さんは以前、ビヨンドのイベントに来てくれたことがあり、その後にビヨンドの心の寺子屋部門に興味を持っていてくれたようです。

内観ワークショップでは、まず最初に参加者さんのお話を聞きます。
その人の心の中に何が引っ掛かっているかを見るためです。

A.N.さんもいろいろと話してくれましたが、聞いていると一件だけ、非常に強い引っ掛かりが見られました。自分としては気づいていましたが、とりあえずはニュートラルに彼女に自分自身で心の中を見てもらいました。

人はそれぞれの背景で生きていて、知らないうちに考え方に枠を作ってしまいます。
想いを書き出してくれた紙を一緒に見ながら、本当に大事な部分に焦点を当ててもらうお手伝いをさせてもらいました。

内観ワークショップを受けて 30代 女性 A.N.さん

35歳を目前に、じぶんさがし。
このまま生きていくのは寂しいという思いが強くなり
以前から興味があった内観ワークショップを受けてきた。

場所は自然農園ビヨンド・ビヨンド自然塾

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ここを立ち上げた室田さんの指導のもと
心に抱えている課題を深掘りし書き出す、左脳を使うワーク
(マインドマップみたいなの作るやつ)と、
瞑想により心の声を聞く、右脳を使うワークとを、二泊三日。

1日目
理想、好きな事、嫌いな事、理想と現実のギャップを紙に書き出す。
だが、か、書けない…なんか「猫3匹飼いたい」みたいな上っ面のことしか書けない。
できないだろうことを書こうとするとブロックがかかり、負の感情が溢れそうになる。

かろうじてギャップの部分に書いたのは
「私の楽しい、幸せな時間を否定する人がいる…ような気がする」
ような気がするって何だよwと笑われながら
まず取り組むのは「否定する人」への気持ちについて書き出すワークに決定。

…と、簡単に書くけれど、ここまで6時間くらいかかってて
その間、室田さんしゃべりっっっぱなしwww
インプットをたくさんもらった。

みんな小さな、ルールや常識などの枠組みの中で議論して争っている。それって本質的に意味があるのか?考えて、意味がないならそれを剥がしてしまえ。
多くの場合、能力の有無でなく、気持ち・姿勢の問題。
すごく好きとすごく嫌い、それがヒント。
ちょっとした出来事、例えば今、ライトが点かないとする。それが自分に示唆するものは何か?
x軸が幸せ度で、y軸がステータスだとする。上げるべきはx軸だ。y軸とx軸は相関性が無い。

夜、虫の声と風の音しかしない宿で独り内観する。

最初は「私の大事なことが理解されなくて寂しい」と思っていたけれど、そもそも「自分が自分自身の理解者じゃない」ことに気づく。

私が理解してほしいのは、たぶん「特技」と「趣味」に属するものだ。
興味の幅が広い、どんな集まりでも1人で飛び込める、嫌いな人があまりいない。だから結構、友達は多いほうだと思う。
せっかくだから面白い人と面白い人をつなげたいので、しょっちゅうウチでも5~10人くらいで飲んだり喋ったりしている。

遊んでるだけ?パリピ?新興宗教?ネットワークビジネス?なんかその人怪しくない?本当に友達なの?なんて言われることがよくある。古くから知っている人の人間関係が急に変わることに不安を覚える気持ち、心配してるんだってことは私にもわかる。でも、うまく説明できない。わからないならいいやと口を閉ざしてしまう。

そもそも、こんなつまらないことを特技、趣味って呼べるのか?と自分で自分をバカにしている。だから否定されると必要以上に傷つく。これが私だと、自信をもって相手に伝えることができない。なぜ、自信が持てない?

テーマは「自信とは?」に変遷した。

2日目
昨日、思ったことを書き出した紙を見てもらい
「いいね!理解して欲しいのに伝えていないなんて変態だね!!矛盾だよね!ウケる!!」と爆笑される。
ここではどんな罪もウケてもらえるらしい。つられて笑ってしまう。

自信について再び思考する。
「英語が特技でTOEIC○点取りました!」「趣味はヨガでインストラクターの資格持ってます!」「営業で○億稼いできました!」みたいな、形がないから私はたいしたことないなぁ…と思っていた。
でも、形にできるものが必ずしも絶対的な価値ではない。
学歴、仕事、年収、貯金なんかもそうで、他人よりマシだったら自信が持てて、他人よりショボいなら自信が揺らぐ…
比較対象によってブレるものが軸たり得るのだろうか。
どれだけポイント稼いでも、それはただの数値であって
そこに私が居るのかどうかわからない。
私の軸は、やりたいこと、できること、使命とは?
使命ってそもそもなんだ?
他人に良い影響を与えることで、かつ私だからできることかな…?

テーマは「使命とは?」となり
そして最初の問い「好きなことは?」に回帰する。

ループしてる…脳が疲れてきた…

ところに「栗拾いにいこ!」と声をかけられて、
室田さんと、ビヨンドに泊まっている20歳の旅人・Mくんと3人で栗集め~の、薪ストーブとお釜で栗ご飯!!!

豊かだなぁ。。。と感じるのは
栗4:米6みたいな贅沢配分の栗ご飯のせいだけじゃない。

炊飯器もあるけど、あえて薪と釜で炊くのは
そっちのほうが面白いじゃん!すべては遊びだから!だって。
その辺の栗を拾いその辺の枯れ木で火を起こし、様子を見ながら釜で炊く。ここでは生産と消費が切り離されていない。そうすると、生きることが遊びになるのか。

Mくんは天ぷら廃油をエネルギーに走る車で日本中を旅している、農業をやりたい若者だ。廃油を調達しながら人づてに泊まりあるき、手伝いながら暮らしている。沢山の人と関わり学ぶことに、あまりお金はいらないらしい。

私が知っている経済圏とはまったく別の世界だけれども
やりたいことをきちんとやっている。
豊かだなぁ。

瞑想のしかたについて教えてもらう。
しかた、というか、しくみ。
姿勢やら呼吸やら、型はやりやすいようにやればよく
左脳を黙らせ右脳の声を聞くのが到達点…
要するに脳の半分だけ眠らせろと。
…そんなんできるかいw

まあ、出来るような気もする。リアルな夢をよく見るし、眠る寸前や起きる寸前、妄想というか謎のイメージ(ナスの着ぐるみ着た美女たちがサッカーしてたり…前衛的すぎるやろ…)が出てきたり、右脳は謎クリエイターだ。

二階で壁の模様をぼんやり眺めながら瞑想、何度か寝落ちする。壁の模様が色々なものに見えてくるので、印象的なものを書きとめる。
ハグする人たち、本を読む人、階段、窓から誰かを呼ぶ老人、歌う女性。

目が冴えてきたので、一旦書き出しのワークに戻る。
好きなことを深掘りしていく。
自分の友達同士を繋げることが、私は好きだ。
でも…一緒にご飯食べるのは○だけど
ゲームしたりカラオケしたりは×なんだよなぁ…
いつも同じメンバーでつるむのも×だなぁ…
それぞれの人生のストーリーを知ることが大事だと思うんだよなぁ…

ここで思い出す。
今まで、生きづらいなぁと感じた時に救いになったのは自分と違う生き方をしている人の存在だった。
だから私も違う人たちを繋げたいんじゃないかな。確証は持てない、けど誰かを救えるかもしれない

3日目
昨日の瞑想で見えたものについて、つらつら話す。
階段だけ妙に立体的だったなぁ…
階段の上にはハグしたり歌ったり本を読んでいる人がいて
2階から老人がこっちに来れば~って呼んでるのかもね~
ナスの着ぐるみの事はよくわからないけどw

「お母さんとハグできる?そういうイメージできる?」

痛い問いだった。
ここに来る前、母親と険悪になってしまっていた。
まだ心の中にわだかまりがある…こんなに頑張っているのに荒さがし、否定ばかり…
うーんでも「頑張って」って言われてたっけ?それは私が勝手に決めて頑張ってただけな気もする。「否定されて」るんだっけ?表現はともかく、心配をしているだけなんじゃないか?
フォーカスが自分から母に向く。
なんかもう、室田さんだし、いいやと思って泣きながら思ったままを喋った。今まで一度も出来なかったことだった。

いまはお互い武装した状態でコミュニケーションをしているから難しいかもしれない。でも少しずつ振り上げた手を下すことができれば…
そういうイメージトレーニングをしてみたら、と促されて、今度はツリーハウスの上で思い巡らしてみる。

どうやって母にビヨンドの面白さを伝えようか。
どうせ「室田って人、あやしい!」って言うんだろうなぁ、
でもツリーハウスとか土と木の家の写真見せたら食いつくんだろうなぁ、とか考えていると笑えて泣けてきた。

思い切って母に電話してみた。
「なに!なんかあったの?!」「またワインとか飲んでるんじゃないよね?!」と、いつも通りなんか問題でもあったかのような反応で、でも今までみたいに反発するような気持ちは起こらなかった。山梨土産を持っていく約束だけして電話を切った。声が震えてきたから。

落ち着こうと山道を歩いた。途中、桔梗の花が咲いていて
あぁ母の好きそうな紫色だなぁ、でももう少し赤みがあるほうが好みだっけ。とか考えて
愛しているんだなぁと思った

山を登って下って、まだ胸の奥が重いので、しばらく手作りのブランコに揺られてみた。これも瞑想って言うんだろうか?何を考えていたか全く覚えていない。でも時間が経つにつれ、なんだか根拠はないけど大丈夫な気がしてきて、ここで内観ワークショップは終わりにする事にした。

今回通しての気づきについて
思いを書き出すとすべて因果関係があることがわかる。今までバラバラと理解していた事は、実は全てつながっていた。

A=B
C=D
E=F
だと思っていたのが、実は
A=B=C=D=E=F=A…
だったっていうイメージ。

まあ一つの身体に入っているものなので当然といえば当然なんだけど。誰かとうまくいかない・自信がない・これは好き・嫌い…など自分を構成するパーツはつながっていて、良いところ取りしたり誤魔化して繕うことなんて出来なかったんだ、そりゃそうだと改めて思う。不完全でバランスの悪い自分自身が見えた。

じゃあバランスの悪い私が、できるだけ転ばずに歩くには?
軸を意識することだ。
なんだか抽象的な表現ばかりになったし「誰かを救えるのでは…?!」とか仰々しいことを書いたけれど結局、私の軸は、誰かを笑顔にできたらいい。そんなもんでいい。
それだけはブレちゃいけない。

室田さんは「元気な理系の仙人」みたいな人だ。めちゃくちゃよく喋り動き、室田劇場はじまりはじまりーという感じで飽きさせてくれない。のに、全て理論整然としていて、ヒントの与えかたは論文の添削みたい。「変態だね!矛盾だよね!ウケる!シブい!ドM!」つって、ずっと爆笑してるけどw
きっとこの人はブレない、だから何を言っても大丈夫だと思った。

この3日間、とても面白い体験だったので誰かに紹介したい。別視点があることを知っているだけで生きる希望を捨てなくて済む。もし身近で、息苦しさに気づいてしまった人がいたら一緒にビヨンドに遊びに行きたい。今までと違う空気が吸えるんじゃないかな。