それでは食ってはいけないよ? ~自由な心~

これはフィクションです。

遊んでばっかいるんじゃない!

ある所にラルールという国があった。
田園風景が広がり、国民の八割が農民という素朴な国であり、そこにヒューゴという子供が住んでいた。

ヒューゴはいつもいつもボールを蹴っていた。かなり曲芸的なことも出来るようになり、子供の友達からはかなり人気があった。

ある時、ヒューゴの親は彼に言った。

「お前もそろそろ大人なんだから、ボールばっか蹴っていないで、農作業を手伝いなさい。」

親の言うとおりに農作業を手伝いながらも、合間を見つけてヒューゴはボールを蹴り続けた。

そんなヒューゴに父親は厳しく言った。

「明日も早いんだ。そんなことしていないで早く寝なさい!」

遊びが職業に?!

ある日、遠い異国(ザンギ)から観光客(イギー)がやってきた。
その観光客は自国にはサッカーという競技があり、それが物凄く人気があり、スター選手になると物凄い稼いでいると話した。

ヒューゴの父親は、スター選手の年俸額に目を丸くし、ヒューゴにもそのサッカーが出来そうか見てくれないか?と提案した。

イギーはヒューゴの足技を見て非常に驚き、「これならプロになれる!」と興奮しながら話した。

ヒューゴ家族はイギーに連れられ、ザンギに向かった。
実際に『サッカー』を初めてみたヒューゴの父親は驚いた。ヒューゴみたいにボールを蹴っているのは大の大人たちで、それを見て観客は熱狂しているではないか!

「ボール蹴りがこんなに人気があるなんて、、」

イギーの言っていることは嘘ではなかった。
ザンギではサッカー選手というのは職業としても存在し、ステータスも高いものだったのだ。

ヒューゴの父はサッカーを観戦しながらこう思った。
「ヒューゴならこのサッカーを出来る!プロになれる!」

遊びがお金を生み出した

ヒューゴも『サッカー』に魅了された。

「自分以外にも、こんなに足技がすごい人たちがいたなんて!」
「ボール蹴りばかりして怒られるどころか、観客が熱狂してくれるなんて!!」

一年後、ヒューゴはプロになり、ラルール時代の年収の100倍を稼いだ。

ヒューゴが稼ぐようになり父はかなり喜んでいたが、ヒューゴは一年でプロを辞めることにした。
連日の遠征試合などで友達や家族と会う時間が無くなったのが寂しくなったのだ。
またボールの蹴り方に関しても、監督から色々と指示をされたりして自由にできなくなり、楽しく思えなくなってしまったのだ。

「あ~あ、もうちょっとプロとしてやってくれていれば大金持ちになれたのにな、、、」
とこぼす父に対してヒューゴは答えた。

「前は『そんなことやってるヒマあったら手伝え!』って怒鳴っていたのにね^^」

父は懐かしそうに言った。

「まさかな、、まさかボール蹴りがお金を生むなんてこれっぽっちも思わなかったからな~」

それ、イケるんじゃないか?

ラルールに戻ったヒューゴは農作業をしながらも、合間を見てはボール蹴りを続けていた。
家計が楽になったのと、プロに戻るかもしれないという期待から、父親はボール蹴りを自由にやらせてくれていたのだ。

ある夕方、ボールを蹴りながら道を歩いていると熱心に草笛を吹いている兄弟(フルート兄弟)がいた。
その音色は素晴らしく、ヒューゴはしばし聞き入っていた。

演奏が一息ついた時、ヒューゴはその兄弟に拍手をしながら近づいた。

初めて会うその兄弟の話を聞いていると、昔の自分とまさに同じ状況に悩んでいることがわかった。

フルート兄弟が言うには、親には「草笛を吹いているヒマがあったら農作業を手伝え!」と言われるので、こうして隠れて吹いているとの事だった。

「『そんな飯の足しにならいんだから。』だろ?」
ヒューゴは自分の『ボール蹴り』も仕事になり得た話をし、こう続けた。

「自分が一年住んでいたザンギでは、色々なものが職業になっていたんだ。音楽家というのもあってね。草笛のプロは見たことがないけど、イケるんじゃないかな。」

ヒューゴはイギーに連絡を取り、草笛の話をすると、ザンギでは知らないがムジカという国に行けば恐らく需要があると教えてくれた。

その後、フルート兄弟はムジカで何度かコンサートを行い、今では音楽講師として生計を立てている。

『食っていける』って何だろう?

「『食っていける』って何なんだろう?」

ヒューゴは考えた。

「ラルールしか知らなかった時は、食っていくというのは農作業をしたり、家を直したりする事だと思っていた。でも、ザンギではむしろ農民なんていうのはかなりの少数派だった、、、。カタチは全然違うけど、どちらの国でも人々は生活して行けている、、、。」

ザンギでの生活は、ヒューゴに『人を喜ばせる行為は価値がある(経済的見返りがある)』ということを気づかせた。

ラルールでの生活は、農作業をしてさえいれば食べ物には困らずに生活していけることを教えた。

「ラルールはのんびりして本当に良いところだが、自由が制限されることも多い。ザンギは自由になんでも出来る可能性はあるが、競争が激しすぎて気は休まらない、、、、。ザンギ、ラルール、、どちらの生き方が正しいというわけでもなく、もっと自由にバランスをとってもいいはずだ!」

新たな文化を!

あれから20年、、
ラルールの生活環境はかなり変わったものとなっていた。

ヒューゴは自身の経験を活かして、より自由に生きるための環境づくりに尽力していた。

「人を喜ばせるような行為は全てが認められ、支援されるような文化を創るぞ!」

その結果が花開いたのだ。

農民が多いラルールでは「食べるものには困らない」という安心感も手伝い、「好きな事をするための時間を持つ」という事は理解されやすく、今では尊重されるまでになっていた。

球蹴りや草笛はもちろん、なんと「動物や昆虫のものまね」なんていうのも支持されていた。
実際にトルビーという身体に障害がある男の子は、モノマネのみで生計を立てていた。トルビーは体が不自由なために農作業が出来なかったのだが、周りからの支援により幸せに暮らすことができていたのだ。

そんな光景を見ながら、ヒューゴは今日も幸せがこみ上げてくるのだった。