幸子には1歳になる男の子(裕太)がいた。
その子は生まれつき耳が弱かった。
幸子は悩んだ、自分を責めることもあった、、、
“高齢出産だったから?私の食生活が良くなかったのかな?なんで私の子供は耳がよく聞こえないんだろう?”
“このまま裕太の耳が聞こえなかったら、裕太は辛い思いをするだろう、、、“
裕太のことを不憫に思い、涙をながすことも多かった。
“クヨクヨしていても仕方がない!裕太は私が幸せにするんだ!”
幸子は悲しみを押し殺しつつも、裕太の障害を受け入れた。
そして、“裕太を幸せにするんだ!私達家族全員で幸せになるんだ!“と決意した。
裕太は私をママに、U君(旦那)をパパに選んで生まれてきたのかもしれない。
パパやママに何かを伝えるために、、、もしくは、ただ一緒にいたいから?
よくわかんないけど、もしかしたら『意味』があるのかもしれない、、
思い返してみると、
いつも応援してくれる沢山のママ友が得られたのは、裕太が生まれたからだ、、、、
耳が弱くて反応は悪いけど、呼びかけが聞こえてコチラを向いた時は、物凄く幸せ、、シミジミとありがたい、、
仕事が忙しくあまり育児には手を貸さなかったU君が、積極的に関わるようになってくれた
顔を見て“何で聞こえないの?”と悲しくなる時もあるけど、笑顔が見れた時、本当に幸せ!
幸子は思った。
“幸せか幸せではないかに、耳が聞こえるか聞こえないかなんて大したことではないのかも、、”
幸子は塞ぐこと無く、友達などと楽しく時を過ごした。
「ママが楽しくしていなきゃ、裕君も顔が曇っちゃうよね^^」
実際、友達の存在は有りがたかった。
”自分の気持を理解してくれている、、”そう感じるだけで救いになったし、色々と相談に乗ってくれたり、人生を豊かにしてくれた。
ある日、友達の一人が幸子にこう言った。
「目の前に起こること、特に自分の感情に強く訴えかけるもの、、、これには意味があるんだ。殆どの人はそんな事は考えないし、気づかない。でもね、、本当にそうなんだ。殆どの人が気づけないのはね、その意味が明らかになるのはかなり時間が経ってからのことが多いからなんだ。その時は苦しみでしかない、、、しかし、あとで思い返してみると!気づいたりするものなんだ。目の前に起こっていることが楽しいものではない時、意味がわからないのは残酷のような気もするかもしれなけど、意味がわかる時というのは、もっと後、抜群のタイミングで来るものなんだよ。」
幸子は友達が自分を慰めるために言ってくれているのかな、、と思っていた。
しかし後に、実際にこれが本当であったことを強烈に感じさせられる出来事は起こった。
19年後、裕太は成人式を迎えた。
裕太は壇上に上がり、手紙を読んでいる。
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『大好きなお父さん、お母さんへ』
お父さん、お母さん、僕を産んでくれて有難う。
僕を育ててくれて有難う!
僕は生まれつき聴覚障害があり、あまり耳が聞こえませんでした。
確かに不便なことはありました。
でも、だからといって不幸せだとは思ったことは一度もありません。
お父さんとお母さんは、耳が聴こえない僕のために一生懸命愛情を注いでくれたんです!
はじめにお母さん、そして忙しいお父さんまで、手話を習い、僕に教えてくれました。
障害児としてではなく、いつも普通の子として扱ってくれました。
それどころか、「自慢の子だ」といつも言ってくれました。
僕は聴覚障害で生まれてきて良かったと思っています。
耳がよく聞こえない分、しっかりと耳を傾けることが出来ました。
そして、しっかりと聞くことができたんです。
ココで。(裕太は胸を拳で叩いた)
「諦めなければ、凄いことができる!耳だって聞こえるようになる!」
それを教えてくれたのはお父さんとお母さんです。
今日この壇上に上がり、お話をさせて頂いているのは、お父さんと、お母さんのお陰です。
お父さんとお母さんの元に生まれてきて良かったです!
20年間、僕を育ててくれて有難う!
裕太
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医者から原因は不明で手の施しようがないと言われた幸子は、自分たちでできることをしてあげようと心に決めたのだ。
聞こえているか聞こえていないかなど気にせず、何度も何度も話しかけた。
たまに気づいて振り返り、笑顔を見れるだけで本当に幸せがこみ上げるのだった。
そして現在、裕太は補聴器の力も借りながら、通常の生活ができるようになっている。
医者に言わせると奇跡的な復活らしい、、、。
幸子 「あの裕太が講演を頼まれるなんてねぇ。」 泣きながら幸子はUに言った。
U 「あぁ、そうだな。医者は諦めた。でも俺達は諦めなかった。裕太の笑顔が見たかったからな。」
幸子は裕太の「お父さんとお母さんの元に生まれてきて良かったです!」という言葉が非常に嬉しかった。
そして、Uの存在の大きさも同時に感じることができている、、、
そして、うーん、、、と唸るのだった。
“裕太が私達の子供に生まれてきたのは、やっぱり意味があったのかなぁ、、、。ま、いいや、そんなこと!”
裕太の障害を受け入れることが出来なかった時、周りの健康な子供たちを羨むことも多かった。
“何でうちの子が、、、”
しかし今は違う。
「これが私の自慢の息子です^^」
幸子は「裕太、自分の子供に生まれてきてくれて有難う!」と心から思っていたのだった。