心の寺子屋 体験談 

訪れるきっかけ

新卒で入社した会社を退職して、半年が経とうとしていて、私は焦りで自分を物凄く責めていた。
「なぜ、普通の人のように努力ができないのか。」
「なぜ、仕事をしたいと思いながら就職活動に集中できないのか。」
「自分はなにをやりたいのか。」

自分の胸を何度も叩きながら、過呼吸になりながら、涙を流すことが多くなった。
大手企業に勤めている友人の一人に声をかけて貰って、面接練習や自己分析の深掘りをして貰っていたのだが、友人の、または自分の実在しない空想の姿との差に、日に日に自己嫌悪が増し、疲弊していた。頑張って頑張って、自分を見繕った結果、目の前が白黒になった。
流石にこれはよくないなと思うものの、すがるように続け、遂に頭の中の思考が止まってしまった。

気が参った私は別の友人に連絡し、直ぐにその場から離れ、本当に心から休むことを勧めてもらったのだ。そしてビヨンドさんを紹介してもらった。
翌朝には山梨県に向かってバスに乗っていた。

心の中がモヤモヤのまま、顔合わせ

友人の計らいで急遽訪問することにはなったものの、なにをするのかも知らず、正直疑心暗鬼でいっぱいだった。この時もまだ、受け身だったのかもしれない。
友人の車に揺られ、たどり着いたのが古民家だった。
あいにく曇り空ではあったが、畑や小屋を見ることができた。

友人につられ、言われるままに敷居を跨いだところ、丁度昼食を取られている最中だった。
友人の知り合いかとばかり思っていたが、結局ほとんどが初対面で不安が募った。
天井の低い昔ながらの和室の部屋に、暖炉とコタツがあった。
時計のない部屋だったからなのか、すごくゆっくりと時間が流れているように感じた。

「何してんだろう、自分」

焦ることに慣れすぎて、何もしない時間があると不安になった。
目の前にいる人に集中出来ず、その状況にイラついていた。

模範解答を探してしまう癖

送ってくれた友人を見送り、畑仕事を手伝うことになった。
と思っていたのだが、畑仕事をどう始めればいいのかわからず、既に作業をされていた方が竹で柵を作られるとのことだったので、お手伝いをすることになった。

軽快な音楽が鳴り響く中、竹を割いている様子を見て、はじめは驚いた。
自然の中で音楽を流すという考えもなかったし、何より歌が途轍もなくかっこよかったのだ。自然物を相手に人間が手作業をしている空間なのに、都会的なエンターテインメントを感じた。歌のチョイスがたまたまドンピシャだっただけかもしれないが。

竹を触ることも、斧で切ることも普段全くしないのに、軍手を付けて作業をしていた。
当たり前の私の知っている日常が、どんどん離れていくのが分かった。
全く経験のない柵作りをどう作るか。話合いながら、頭を回した。
室田さんはそんな私たちに、適度なアドバイスを随時くれた。
そして楽しそうだった。
柵はどうあったら、かっこよくて美しいのか。自分の思考を楽しんでいるんだなと思った。
一方私は、使命感というか責任感というのか正しく作る正解を必死に探していた。
自分がどう作りたいとかではなく、ここで求められている正解がなにかを無意識に模索していた。

次第に心のモヤモヤも無くなり、柵を作ることを純粋に楽しんでいった。
そして正解は流動するもので、その時その時に対応すればいいのだなと手を動かしながら、思った。失敗は経験になり、また失敗が正解の場合もあるという体験ができた。

一方通行の会話

夕暮れが近づき、作業を終えて帰路につかれるメンバーの方に、声をかけた。
話したいと思ったのだ。
とにかく吐き出してしまえば楽になるみたいな幼稚な考えで話始める私を、その方は真っ直ぐに聞いてくださった。
心のきれいな方はこんなにも滲み出るものなのだなと感じるほどの方だった。
帰る時間を大幅に過ぎてらっしゃるのに、ご自身がどう感じたかを丁寧に伝えて下さった。

今思えば私がその方にしたことは、自分の傷がどれだけのものなのかを散々喚き散らしただけで、一方的な会話であった。
それだけ自分のことで必死になっていた。

火と真っ暗な部屋

民家に暮らす方と二人で、コタツの中でお話をした。
周囲で作業をされている方がいないので、時々聞こえるのは遠くを走る車の音と、何かが動いて軋む音だけで、とても静かだった。
ゆったりとした時間が流れ、その静寂さに不思議な気分になった。
当初感じていた焦りや不安、戸惑いはなくなっていた。

私は凝りもせず、先ほどの方同様、自分の言いたいことを話したいだけ吐露していた。
その方も真っ直ぐに聞いてくださった。
次第に心にも余裕が出たのか、相手に興味を持つようにもなっていった。
生身の人とお話をすること自体久しぶりで、対人センサーがやっと正常に戻ったのかもしれない。元気な時の本来の自分になっていった。

部屋が寒かったこともあり、薪ストーブで暖を取った。
火をくべる機会もないので、新鮮だった。
その方の提案で部屋の電気を消して、じっと火を見つめた。
真っ暗だったからかもしれないし、非日常な空間だったからかもしれないが、色んな概念が消えた感覚だった。
時間のスピードがなくなったから、空気感を気にしなくなった。
隣に座る方との間に何かしなくてはいけないという考えがなくなった。
とりとめのないことを話してもいいし、話さなくてもいい。
黙っていても、目をつむっていてもいい。
初対面とは思えないほど、居心地が良かった。
私もすっかり薪ストーブの虜になった。

火の魅力に取り憑かれながら、私は自分の感性を基準に物事を見ている節があるのだなと知った。
今の自分の状況からすると、一度の考え方を固執し過ぎて柔軟性がない点がデメリットな面として発揮されていると言える。ただ反面で、よいところを素直に見つけ出し、自分の感じたことに絶対の信頼を置いている自己愛の強い点は明らかにメリットな面だろう。

その方との火を眺める時間は、心が満ち足りていくような特別な時間だった。

私の知ってる世界は狭く、そして広げられる

暫くして、以前ご一緒に活動された方がご家族で泊まりに来られた。
ご挨拶をする内に、当初よりも会話らしい会話ができるようになっていた。

その後直ぐに室田さんも来られ、互いの再会を喜んでいらした。
そんな貴重な機会にも関わらず、三人のお話に参加させて頂くことになった。
いや正確には、贅沢にも三人に自分の悩みを聞いてもらうことになった。
なんて自分はラッキーなのだと、せっかくの再会の邪魔していることをわかりながら、同席できることが素直に嬉しかった。

自分なりに考えてきたこと、今悩んでいること、苦しくなっている理由を、真っ直ぐ話した。
その頃には、昨日の自分では考えられないほど、整理できるかもという期待が芽生えていた。

対話の中で、自分の狭い世界が少しずつ壊れていったのが分かっていった。
もちろん最初から受け入れられていたわけではない。無意識に拒絶していた。
分かっている!でもできないのだ!と。
そんな私に皆さんは見放したり放り投げたりもせずに、対話をしてくださった。

そして少しずつ理解していった。自分が自分を縛っていたのだと。
頑張れない自分を責めていたけど、そもそもそれは自分が本心でやりたいと思っていなかっただけだったのだ。
やりたいことがないと思っていたのは、できないと思い込んでいたから。
人の目を気にすることが悪いのではなく、自分が無意識に他者を評価していることが問題。
自分の決断に責任を持たず、理由を他に求めるから苦しくなるのだ。

結局その日は一睡もすることなく、頭の中でその意味を確かめていた。
寝てしまうと全てが飛んでしまうように思った。
もちろん、一日で劇的に変わるなんておこがましいことは考えなかった。
寝てないこともあって直後は気弱になったが、腑に落ちた事実が残ったことは大きい。

その後

帰宅後も暫く室田さんとのやり取りをさせていただき、内省が進んでいった。
以前と違うのは無意味に自分を責めなくなったことだ。
これまでと変わらず不安になることもあるが、その反応ですら受け入れられるようになった。
不安になることが悪いことではなく、なぜ不安なのかを自分に問いかければいいのだと理解したからだ。

貴重な機会をありがとうございました。