『思考は現実化する』が本当かを突き詰めるため、仕事にも出ずに9年も真理探求をした結果、、、、『信じる力』が生まれ、神秘体験が繰り返されるようになった話 vol.2 の続編です。
超能力を試してみた
心の変化(準備OK!)
『思考は現実化するのか?』、『見えない世界なんていうものは存在するのか?』という事を知りたかった自分は、超能力についても自分で試してみることにした。
もし、科学的には証明できないようなこと、常識では考えられないようなことが起こったとしたら、、、それは面白いな!!そんなのもアリということになるからな!
このような想いで実験を開始したのだが、実はこのような『想い』自身が物凄い重要だったのだ。
実際、自分はその数年前までは「超能力?そんなものある訳無いだろ?」という思いだった。
その時点では「超能力」を受け入れる心の準備はできていなかった。
あの状態ではいくら練習しても何も得られなかっただろうな。
その点で、地道な『証拠集め』はかなり有効だった。
自分の中の疑いを少しずつ溶かしていき、だんだんとニュートラルの状態(超能力はあってもなくてもおかしくない)に持って行ってくれたのだ。
さて、何から始めよう?
心がニュートラルになったとはいえ、やはり簡単にできるとは思っていなかった、、、
そして、出来なさそう!と感じてしまうようなことは本当に出来ないような気もしていたので、出来るだけ「うんうん、これなら出来るかも^^」と思えるようなものから始めることにしたのだ。
そして自分が選択したのが『ダウジング』。
『振り子や針金を使い、自分の潜在意識を利用することで通常は発見できないようなことを発見できる』というようなものだった。
言っていることは同じかもしれないが、『超能力』から『潜在意識』と記述が変わると自分としては疑いが薄れた^^
そしてなんとも面白いことに、このダウジングは当たり前のようにできるという事だったのだ!
イギリスの水道局の職員は普通にこのダウジングを使って水道管の位置を探したりしていると本に書いてあった。
なんと!という事は自分がイギリスの水道局員になったら当たり前のようにこれをやらされるということか?!
なんか出来そうな気がしてきたな、フフフ
ダウジング!
いろいろ調べてみたところ、道具はなんでも良さそうだった。
ダウジングロッドを針金で作っても良かったのだが、自分としては『振り子』で行くことにしてみた。
何でって?
何となくだよ^^
まずは練習から。自然と体が反応し、自然と振り子が揺れるためにね。
”イエスの時は時計回り、ノーの時は反対周り、どちらでも無いときは横に振れる”などと自分なりのルールを設定して練習した。
答えの分かる質問を自分自身に問いかけ、それに対する答え(イエス or ノー)を感じながら振り子を時計回りに回したり、反対周りに回したり、、、
それが無意識にできるようにまで練習するのだ、、、
と簡単に言うけど、無意識にできるようになるまでは時間がかかる(^_^;)
こんな事を昼間から仕事もせずにしている自分ってどうなの?
なんて気分になること間違いなし!
ちょっと上達した気がしたのでとりあえず実践。
自分がやったのはカード当て。
七枚あるカードのうち、ある特定の一枚を当てるというもの。
さぁ、どうなるんだろう?
なんだか思わず当たりが連発しちゃったりして?
なんて期待に胸を膨らませてトライするも、全然当たらない。
もちろんたまには当たるが、もともと七回に1回は当たる確率だから、、、
フフフ、だがこんな事は想定済みなのだよ。
「当たりのカードが来たらこのように、振り子よ、動くのだ!」
自分は練習を繰り返した。
当たりがでると盛り上がり、よし次も!と思ってもその後何回もハズレ、、みたいなことが繰り返された。
う、、うーむ、、確率的に有意差は見られない感じだな。
でも、こんなところで諦める気はサラサラない。
自分は当たり前のように日本語を喋れるが、喋れるようになるまでは幼少時に相当な時間がかかったのだ。
ダウジングも、根気よくやればできるはずだ。
なんたってイギリスの水道局員は当たり前のようにやるらしいのだから!
自分を奮い立たせながら、練習を続けた。
『まずは疑いを取ること!』
これは非常に大事な点だ。
自分は凄い沢山の文献を調査したが、この点は本当に『キモ』みたいな部分だと感じていた。
自分自身、強く感じていたのは、
本当にできるかなぁ?
という気持ちが自分の心の中に残っていたこと。
こんな状態では、ダウジングに成功しないとしても、それはそれで『思考は現実化した』のかもしれないが、自分が求めていたようなスッキリとした答えにはならない。
と言うことで、出来るだけ疑いがわかないようなやり方を試してみた。
七枚のカードからいきなり当たりの一枚を選択するのは確率が1/7であり、バンバン当てるのは難しそうに感じた。
しかし、七枚のカードを三枚と四枚の二組に分け、そのどちらに当たりのカードが有るかを決めるだけであれば、ずっと楽そうだ。
確率はほぼ2分の1であれば、簡単に当たりそうだな~
と気軽にトライし、上手く当たると三枚か四枚に絞れる。
そして更に、それらを二等分していく。
ここでも
まぁ、ほぼ2分の1の確率だから^^
と気軽にトライし、上手くいくと当たるかもしくは二枚に絞られる、、、、という段階的なやり方だ。
そして、、、、
そして!!
この単純な作戦は少し上手く言った感じだった!
あ、あれ?わりと当たっている気がする、、、
ここで俄然盛り上がってきた自分は、バンバントライしてみた。
しかしながら、連続して二回くらいは当たるものの、連続三回は当たらなかった。
確率七分の一を二連続くらいであれば、こんなにやっていればできてもオカシクはないよな、、、
まだまだ懐疑的な自分であったが、日々特訓を続けていると気付いたことがあった。
この気付きは非常に重要な意味を持っていた。
後に、自分は『思考は現実化する』の核心部分に対する大きなヒントを得る事になるのだが、そのヒントに導いたのは、一つ一つのこのような”小さな気付き”だったのだ。
そして、その小さな気付きとは、、、
『(ダウジングで)当たる時と当たらない時では心に違いがある』
ということ。
こんな事は本では何度も読んだことがある。
しかし、今回は自分自身の感覚としてこの事に気付いたのだ!
これは天と地ほどの差があるのだ!
ず~っとず~っと本など、外に答えを探し続けていた。
そして、解は書いてあったとしても、毎回「本当かよ?」の繰り返しだった、、、。
しかし、1回でも自身で体験してしまうと!
あぁ、、、やはりそうなのか!!
となるのだ。
体感の重要性に気づけたという点でも、このダウジング調査は意味があった。
面白いことに、実際の気付きに関しては、瞑想よりもこちらの超能力実践の方が先に収穫を得ることが出来た。
そしてこれまた面白いことに、意味さえわかったら、その後は超能力よりも瞑想実践の方が大きな意味を持つようになったのだ。
これはまた後のお話♪
話はダウジングに戻る。
二回連続で当たることがわりと多かったので、確率的に既に有意差は見られていた。
しかしながら、三回連続というのは一度もなかったのだ。
そして、二回連続で当たったあとのトライ時には、通常のトライ時と比べて『心』に違いが生じてしまっていたことに気がついたのだ。
いや~、流石に三回連続はヤバイな。そんな事あるかな?
という想いが心のなかに芽生えていたのだ。
その頃にはダウジングに対する疑いがようやく薄くなっていたのに、二回連続で当たったりすると、残念ながらまた、その『疑い』が頭をもたげてきたのだ、、、。
ふ~む、、、疑いはやはりマズイな。 疑いがもたげるときはやらないようにしよう!
そう考えた自分は、がむしゃらに練習するのを一旦休止し、やるときは数回しかトライしないことにした。
そして、やりながらいつも感じた。
あの気付き(『当たる時と当たらない時では心に違いがある』)は確実に正しい、、、
というのはこの時既に、七枚のカードから四枚に、そして二枚に、、、と段階的に答えを絞る際、最後の二枚まではほぼ毎回正解を導き出せるようになっていたのだ。
これだけの確率を考えても、明らかに通常ではないことはわかっていた。
しかし、、最後の二択だけは本当に確率が2分の1位になってしまったのだ。
ここで当たるとまた連続正解になるぞ?
と、『理論的には難しいのではないのか?』という疑いが起こりやすかったのだ。
そして、その疑いが起きた時の正解確率は、計算通りに2分の1に落ち着いてしまったようなのだ。
こうなると、『思考は現実化する』の信ぴょう性は俄然増してきた。
疑いさえなければ、俺はこんなのは簡単に当てられるようになるのじゃないか?
思い切って、一日に一度だけの実験にしてみた。
初日、一度だけトライしたら見事正解した。
もう一度やりたい!という気持ちを抑え、次の日、前日の当たりとかはあまり気にならなかったのでもう一度トライすると、、また正解。
この時、自分の気持は軽やかだったことを覚えている。
その時は既に正解の確率はわりと高かったりしたので、あまり驚くこともなくなっていた。
そしてその次の日だったかな?
タイミングはちょっと忘れたが、その前の二連続正解が全然気にならないようなタイミングでもう一度トライしてみた。
すると!!!
なんと、難なく正解♪
ということは、初めて三連続で正解したことを意味したのだ!
七分の一を連続三回、、、1/7 x 1/7 x 1/7=343分の一の確率!
いやいや待て待て、、これまでの練習は300回とかそんなレベルじゃないんだから、今回1回ほどそれが成し遂げられたとしても確率的には別に凄くないぞ。
などと思いながらも、胸の高まりは抑えられなかった^^
明らかに手応えを感じていた。
『偶然ではない、、』
そう感じていたのだ。
ここでやや吹っ切れた自分は、その翌日(だったかな?)に再度トライしてまた正解!
よく覚えていないが、結局四回か五回連続で当たったと記憶している。
なんでそんなすごい体験をハッキリ覚えていないのかって?
自分は『超能力』自体にはあまり重きを置いていなかったからだ。
『超能力』を試していたのは、あくまで『思考は現実化する』のかどうかを知りたかっただけなのだ。
その証拠やヒントを探していただけだったのだ。
Oリング
Oリングテストと呼ばれるものも少し試してみた。
これは自分だけでなく、妻や友達にも試してみた。
わりとそれらしい回答が得られることが多かった。
これは、振り子などの『ツール』などなくても、通常では難しいとされるような感覚的なことを成し遂げることができるということを意味していると自分は受け取った。
サイコキネシス
ダウジング(振り子)で明らかに通常の確率では説明できないようなことを自ら体験した私は、次にサイコキネシスに挑戦してみた。
風車のようなものを紙で作り、それを針の上に乗せた。
そして手を触れずに、その風車を回すという実験を始めた。
まったく動かない、、、
うす暗いところで一時間ほどず~っと集中してやっているが、まるっきり動かない、、。
かなり疲れる作業だったが、ダウジングで手応えを感じていた自分が諦めることはなかった。
毎日毎日練習した。
朝も昼も晩も!
朝から一歩も外に出ずに瞑想したり、超能力実験をしたり、文献調査も併せてしたり、、
もろにマニアックな修行僧のような生活だった、、、
そしてこんな生活を既に4年も続けていたのだ、、
絶対に確かめるんだ!『思考は現実化する』かどうかを!!
高校時代にドクターストップになるほどトレーニングしたり、受験勉強で右手も左手も腱鞘炎になってしまうような自分は、友だちに言わせると『鉄の意志』を身につけていたのだ。
こんなところで諦めるわけがない(^_^)v
ダウジングの時と同じく、やはり自分の心とサイコキネシスもリンクしていた。
段々と信じる力が強くなるに連れ、風車がフラフラと動き出した。
そして動けば動いたで、また『疑い』が頭をもたげてきた、、、
- 「動け動け~」と念じながらも無意識に鼻息とかで動かしていたりしないか?
- 閉めきってはいるけど、ドアの下から隙間風が来てる可能性はないのか?
- イメージを持つために手も動かしているのだが、その手で無意識に風を送っているのではないのか?
こういう時、『自分自身で気付きを体験している』というのは物凄い強みだ。
疑いは持ちながらも、考えなおすことが出来たのだ。
いやいや、ダウジングの時もそうだった。疑いなんて持っても何の足しにもならんよ^^
そして黙々と練習を続けたのだ。
するとついに!目の前で風車は周りしだした!
うお~、回っている!!回っている~!!
たまたまこの時、横には妻が座っていた。
そして興奮しながら、妻にその光景を見せた。
妻の反応は?!
「へぇ~」
あれ?そんだけ?!
妻は自分が必死に探求していた精神世界に関しては殆ど興味がなかったのだ(^_^;)
しかし自分にとっては、この事実は自分の心の中での『常識』、『価値観』というものを根底から揺るがすものであった、、、、
そうはいっても穿った見方をしやすい自分は、鼻息や手で風を送ったりして風車を回し続けることができるかも確かめてみた。
すると、そんなのでは全然うまく回せないのだ。
ユラユラ揺れるだけで、回すなんていうことはかなり難しい。
綺麗に回すというのは不可能のように思われた。
更には、自分が催眠状態になり、風車が回っていることしか気づいていないだけで、実は無意識に手で回したりしていたなんて言う冗談みたいな事があっては嫌だったので、自分の手で風車を回してみた。
すると、、、手を使っているのにもかかわらず、針の上に乗っているだけの不安定な風車を綺麗に回すということは非常に難しいことがわかった。
そして、手で勢い良く回したとしても、摩擦で二、三回転すると止まってしまったのだ。
『自分の目の前では風車が綺麗にクルクルと何回転も回り続けた、、、』
この事実は深く自分の胸に刺さった。
このようなことを本の記述として読むだけであれば、やはり「本当かよ?」と疑ってしまっただろう。
しかし、自分で経験してしまったのだ!
しかも、回る時と回らない時の差なども実際に感覚として感じることが出来てしまっていたのだ!
この時の経験は、自分がその後に『思考は現実化するかを確かめたい!』から更に一歩進んで『真理探求』に進んだ時に、非常に役に立つことになる、、、、
そして思った。
シャーマンが言っていた雨乞いの儀式に関する記述は本当だ!
ここで言う、シャーマンの雨乞いの儀式についての記述について説明しよう。
=シャーマンの雨乞いの儀式 ~村民との意識の違い~=
ある村で干魃で困っていた村民がシャーマンに雨乞いの儀式を依頼した。
シャーマンは村民に言った。
「なぜ私にわざわざ頼むのだ。自分たちで雨を降らせなさい」
そんなことができるわけはない!と思った村民たちは、シャーマンに儀式してもらうように再度頼んだ。
シャーマンは言った。
「よろしい。それでは自分が行ってあげるから、一緒に雨を降らせよう。次からは自分たちで降らせなさい。」
約束通り、後日シャーマンは村を訪れた。
そして村民とともに祈りだした。
だが、一向に雨は降ってこない、、、
村民から不満の声が上がった。
それに対してシャーマンは答えた。
「今日、ここに傘を持参した者が一人もいない、、、それは皆が「雨など降るわけない」と思っているからだ。そして、その皆の思いは見事に今、現実として現れているのだ。」
「本当に雨が降ると思うか、思わないか、、、あなた方と私の違いはそこにあるのだよ」
~『シャーマンの雨乞いの儀式 』ここまで~
ついに、シャーマンの言っていた意味が、自らハッキリと理解できるようになったのだ!!
「無茶苦茶怪しい!」、「絶対インチキ!」なんて思っていた『超能力』を何故かまじめに探求し、遂にはシャーマンの言っていた意味がわかるようになってしまうなんて、、、
人生とは面白いものだな。
何年も探求していたことに対する答えがひとつ得られたことは、本当に感慨深かった、、、
しかし、『思考は現実化する』かを確かめる道はまだまだ続くのだった。
『思考により何でも可能かどうか』ということを確かめたかったのだ。
それがそうであるとすれば、もはや『仕事』なんていうものはまるで不要のものになるであろうから!
vol.4に続く、、、、
このSTORYで伝えたいこと
- 『そんなバカな!』は本当にバカな事なのかな?本当に自分で確かめてみたかな?
- 自分で経験して初めて『心から理解』できるようになる。そしてそれは物凄い意味があるんだよ。