勉強を『遊び』にすることで、高校三年の半年で偏差値31→75にした方法 ~感情が大事~

目次

まずはモチベーション!

まず第一に、この質問に笑顔で答えられなくては厳しいです。

『何で勉強するのですか?』

そして、この質問に対する答えが曖昧な場合が非常に多いと思われます。

もし「周りが勉強しているから、自分も流れで勉強している」位だとしたら、モチベーションはかなり低くなるでしょう。

理由なんかは何でも良いのです。

ただ『勉強したい!』と心から思えるような理由さえあれば、もうそれだけで成績上昇は保証されたようなものです。

この理由を探すのは重要です。
もし、この理由が見つからないようであれば、むしろ勉強をする必要はないと思います。

そう、勉強をするよりももっと他にしたいことがある人というのも沢山いると思うのです。
そう言う人は、まさにそこに力を注ぎこむのがいいでしょう。

自分の場合は、理由は簡単
「面白そう!」だったからです。

大学受験と言うのが、全国の高校生が参加するウルトラクイズ(今の人達はもう知らないかな)みたいに感じたのです。

『これはもう、参加するしか無い!』

こんなテンションでした(^_^;)

勉強方法を見直そう ~楽しくなけりゃ!~

自分は半年で一気に学力を高める必要がありました。
何たって高3の夏に勉強を始め、その際の偏差値は31だったのですから、、、

従って、『自分はあまり無駄なことはしていられない!』という強い気持ちがありました。

だから勉強をしながら、いつもどのように勉強を進めるのが良いだろう、、、と改良点を探していました

問題集の使い方

例えば、問題集。
最初は最初の問題から順々に解いていたりしたのですが、次第に自分の学力が上がるに連れ、答えがわかる問題が増えていきました。

そうなると、自分はそのような問題はすべてふっ飛ばすことにしました。
知っている問題を解いている暇は無かったからです。

自分の目的は、学力を向上させ、高校受験ウルトラクイズで上位を目指すこと。
学力向上に効果が望まれないようなことは排除するのは常套手段でしょう。

しかし、、、、何故か多くの人々は自分より学力が高いにもかかわらずに順々に問題集を解いたりしていました。

自分の場合は、最後の方は問題集によっては一冊のうちに2、3問くらいしか解かないこともありました。

語学の勉強法

英語や古典、漢文などはすべて原文で物語などを読みました。
問題集などはつまらなくてやる気が起きなかったのです。

赤毛のアンなどを英語で読みながら、感動して涙を流したり、、、

『勉強は我慢。つまらなくてもしょうがない!』

こんな雰囲気を持つ人が多かった中、自分は面白くてしょうがなかったのです^^

古文と漢文に関しては、物語などを読むのが楽しかっただけでなく、試験に対しても物凄く有効でした。
何たって試験に自分が既に読んで知っている文章が出題されるのですから!

英語と比べ、古文や漢文などは出題される文章などはかなり限られるので、沢山読んでしまうと試験時にも読んだ文が出題される可能性が非常に高まるのです。

どう考えても一番効率的なやり方に自分には思えたものの、何故か他に同じやり方をする人は見られませんでした、、、

しかも、友達に自分の考える効率的な勉強法を説いても、なかなか聞き入れてもらえなかったりしました。

まぁ、それを話す本人の偏差値が30台だとしょうがなかったのかもしれませんね(^_^;)

悩むようじゃダメだ!

あと、自分が「あれ?」とかなり不思議に思ったのが、多くの人が悩みながら勉強をしていたことです。
教科書や参考書があれば、あとはそれを吸収すれば良いだけのはず。
吸収し終わればそれをどれだけ吸収できているかを試すためにテストするのは良いと思います。

しかしながら、何故か吸収がかなり未熟なうちから問題集に手を付け、問題を解こうと悩んでいる人達が非常に多かったのです。

数学や物理など、ある程度考え、悩まないとその問題自身が解けるかどうかもわからない時はあります。そう言う場合には結構悩んだりもするでしょう。それは良いと思います。

でも英語など、語学などの暗記科目で悩むというのは効率的ではありません。

文法問題で悩むなんて言うのは、『勉強』どころか『悪い癖作り』になることのほうが多いのではないでしょうか。

自分が日本語を学んだ時のことを考えればわかりやすいかもしれません。

赤ん坊の時から文法なんか気にせずに、ただひたすら人の話に耳を傾ける。
ただひたすらに自分も話そうとトライする、、、

そんなシンプルなやり方で、誰しも当たり前のように日本語が話せるようになったと思います。

もし、赤ん坊の時から常に、「スプーン『を』持つなの?スプーン『が』持つなの?それともスプーン『に』持つ?どれだと思う?ちゃんと考えて答えなさい!」なんて言われて育ったとしたら、日本語を話せるようになるのは物凄く遅くなったことでしょう。

更に、間違った日本語を覚えてしまうことも多いでしょう。
どう考えても混乱しがちですからね。

でも、何故か受験勉強となると当たり前のようにそのような勉強方法が採られているのは驚きです!

自分がオススメするのは、先に述べたとおり、何も考えずにガンガン英語や古文など、学びたい語学に触れるということです。

触れ方が印象に残るほどに強いほど有効です。

英語を学ぶとしたら、恋人が英語のnativeだったりすれば、もう、それは簡単に習得が可能になるでしょう!
(男言葉と女言葉では違うことがあるので、そこには注意が必要)

0点なんて最高じゃん!

模試の点数で一喜一憂するというのも、実は無駄が多かったりします。

と言うのは、自分が見ていた感じでは、テストの点数が低かった際に、がっかりしてその帰ってきた答案を見ようともしない人などもいたからです。

逆に、成績が良かった場合には、喜び、気が緩んだりしていたのです、、、

一番最初に
『何で勉強するのですか?』
との問にしっかりと答えられることが大切といったのは、こう言う事態を避けるためです。

本当に勉強がしたくてしているのだとすれば、試験の結果なんて言うのはどうでもいいはずなのです。

勉強している理由が、大学入試に受かるためだとしたら、本番の試験では優秀な成績を収める必要はありますが、模試などの練習段階は例えすべてが0点だったとしても何の問題もないはずです。

試験の結果よりもずっと大切なのは、ただ学びを進めるということでは無いでしょうか?

自分は最初の偏差値が30台前半と低かったために、テストの点数は5点とか11点とか、、、

でも、だからこそ「やった!!」と喜んだものです。
というのは、自分は試験の点数よりも、学びが進むことが喜びだったからです。

説明しますと、自分としては、自分の解けない問題に出会えたことが嬉しかったのです。
(最初はそんな問題ばかりでしたが、、)

自分は復習さえすれば、同じテストを次は100点をとる自信がありました
だから、最初が5点だとすると、次は100点なわけですから、自分の中では+95点という学びの進みが得られることになったのです。

復習をしなかった人と比べると、その差は大きかったことでしょう。

自分は国公立を目指したので、五教科七科目と科目数が多かったので、四ヶ月くらいはずっと底辺をさまよっていました。

しかし、やはり思っていたのです。

『0点なんてむしろ最高じゃん!』

勉強よりも大切なもの

そんな感じで、まさに自分としては『遊び』であった勉強ですが、5ヶ月ほどすると一気に偏差値は跳ね上がりました。

31だった偏差値は一気に75まで跳ね上がったのです。

途中の偏差値60台はすっ飛ばしてしまったほどの急上昇でした。

そう、『0点はとり続けることにはならない』のです。ちゃんと学びさえすれば!

以上、効率的な勉強の仕方をお話させていただきましたが、自分としては、実は勉強の仕方なんて言うのはどうでも良くて、それよりも、その背景の重要性を伝えられたらなという気持ちが強いです。

『本当にやりたい事、好きな事をする!』

これを是非多くの方々に実践していただきたいなぁと思うのです。

そして、実際にそのように行動さえしていれば、勉強『方法』とか『技術』などはさほど重要ではなくなるのです。

競争という気持ちさえ薄れます

自分より点数が高い人が喜んでいるのを見れば、悔しいというよりも「あ、あの人良い顔しているな^^」と感じるようになるでしょう。

皆が手を取り合い、お互いの喜びを増し合うという行為が当たり前の世の中になりますように、、、

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